自動詞と他動詞、実は日本人にとってはすごーく重要な問題なんです。
財布が落ちました(状況)
財布を落としました(誰かの行動)
この違いは、ずばり「責任」があるかないかです。
財布が落ちました(ただ状況を説明しているだけ。誰も悪くない)
財布を落としました(私の責任、私が悪い)
ではなぜ日本人は「責任」にこだわるのでしょうか?
これを理解するには日本の歴史を知る必要があります。
江戸時代、幕府は農民や町民を「五人組」という制度で管理していました。
表向きは「助け合う」制度なのですが、実は一人が悪いことをしても全員が責任をとることになる「連帯責任制度」なんです。
だからうかつに「私がやった」なんてことは言えないんです。
もし言ったら全員が責任を取らされる上に、言った人は村八分にされます。
村八分とは周囲の人が誰も関わってくれないという今のいじめのようなものです。
当時は人の移動が禁じられていたため、村八分はそのまま死を意味していました。
そこで日本では「責任」と関係ない「自動詞」、つまり状況を説明するだけの言葉が進化したんです。
日本人が他動詞を使うのは「私がやる」「私の責任」「私の過失」と強く言いたい時だけです。
<お詫びをする・謝る>
「すみません、書類をなくしてしまいました」=自分が悪いことを認めている
<私が行動する>
「今、ドアを開けますね」
「ここに本を置いておきます」
<相手が行動する>
「間違っているところを直してください」
「電話をかけてくれてありがとう」
自動詞の場合は「ただの状況説明」となります。
「書類がなくなった」
「ドアが開いている」
「本が置いてある」
「間違っているところが直った」
「電話がかかってきた」
なので「間違える」「失くす」などのネガティブな言葉の時は要注意です。
「この書類、間違えています」(他動詞)=書類を作った人の責任だと責めている
「この書類、間違っています」(自動詞)=書類が間違っていることだけを伝えている
「本をなくしました」(他動詞)=私が悪いと言っている
「本がなくなりました」(自動詞)=本がなくなった事実を伝えている
そのつもりがなくても、「他動詞」を使うと相手を責める言い方になる時があるので気をつけましょう。
逆に自分に責任があるのに「自動詞」を使うと無責任な感じになる時もあります。