ひきざくら雨ふりそぼつ山の辺に白き光となりて咲きたり
magnolia kobushi
on the mountainside
blooms
as white luminosity
...raining thick and fast
©Rika Inami稲美里佳
嘗て、約2年間アメリカで生活したことがある。やはり苦労したのは、言葉の問題であった。ネイティブスピーカーと会話していると、相手は普通の速度で話しているのだろうが、こちらには早口に聴こえ、何か問いかけられても答えることができなかったのがしばしばであった。この英語力の改善のために、私はテレビニュースや映画、ドラマを繰り返し見て聴き、何とか聞き取れるようになっていった。
が、言葉の違いはあっても、心は通じるものであると思った。それは出会う人と笑顔を交わすことで感じた。一瞬の光のような笑顔、それは歌心に相似たものではないだろうか。
近年、世界各国で、日本発祥の短詩である短歌や俳句を書くことが流行している。短歌や俳句は、いわば、客体と遭遇し、それに対しての、或はその客体に自分を託して、瞬間的な心情や感性等を表現するものである。5-7-5-7-7、5-7-5という短い音韻の定型詩のなかに、言葉にならない超言語の空間にも意味を籠めて主体を表現する。こうした日本発の短歌や俳句が世界で流行しているという現象は、まさに心は世界共通ということを証明しているようなものではないだろうか。
掲載の短歌は、当地の山中をドライブしていたときに見た「辛夷(こぶし)」を詠ったものであり、「ひきざくら」は辛夷の別名である。短歌や俳句は音数が決まっている定型詩であるので、その音数にできるだけはまるように、私はしばしば出逢った対象の別名を探すことがよくある。「辛夷(こぶし)」は3音、「ひきざくら」は5音となり、初句に私はこの名を入れた。