私は短歌を文語で詠っています。初めて作ったときから文語だったので、口語でつくるというのは、私には毛頭頭の中に浮かばなかったのですが、他の方が作った短歌を読んでみると、口語でつくってらっしゃる。
世を席捲してらっしゃる人気の歌人のお歌を読むと口語で作ってらっしゃるので、おどろいたものでした。
時代が下り、多くのことが生起し、したがって新しい言葉が生まれているので、新しいものは入れざるを得ないのでしょうが、日本には口語体だけではなく、れっきとして文語体の言語も残っています。短歌や俳句のなかで歴然としています。
昨今は新仮名遣いを使いながらも文語体で短歌をつくってらっしゃる歌人もいます。
私自身は、旧仮名遣いの文語体ですが、英訳を頼まれたハイクについては、目下のところ、文語でありつつ新仮名遣いにしています。
日本の文語体が無くなるというのは、私は世界が言語を一つ喪失してしまうのに匹敵していると思っています。
ソーシャルメディア上の海外の私のフォロアーの中に、日本語能力N2で、文語短歌を詠ってらっしゃる方もいます。日本と日本語に傾倒するあまり、そのようになられたようです。
私は、平成から多くなった口語体短歌を否定するつもりはありませんが、言語を維持するという意味でも、今後も文語体で詠ってゆくことでしょう。
これは、ジェネレーションのギャップなのでしょうか。それとも考え方の違いでしょうか。
先日、新しいレッスンのテキストをつくりました。
「美しき歌へのいざない」https://cafetalk.com/dashboard/tutor/lesson/edit/?id=359203&lang=ja