99年韓国留学記 ⑤日本文化開放
日本にいながら韓国の今を知ることも、その反対も今や当たり前のことになりました。
ですが99年当時は、そうではなかったのです。
少し固い話ですが、日本の植民地時代を経験した韓国では、長い間、日本の大衆文化を禁止していました。
それを段階的に解いたのが金大中大統領でした。98年秋に第一次日本文化開放で、
海外のコンペで受賞した映画等から解禁。私が留学したときに見ることができたのは、
北野武監督作品の『HANA-BI』などで、本当にごくわずかでした。
でも当時も日本語熱はあつくて、皆、こっそり海賊版で見ていたので
本当はもっと色々知ってましたが・・。
あの頃、韓国で有名な日本人歌手といえば、X-JAPANと安全地帯でした。Xの方は分かるけど、安全地帯が有名なのにはびっくり。
その後、99年に第二次日本文化開放で日本の大衆文化の輸入が解禁されると、
一時期、日本語ブームが起こりました。
日本語や漢字がプリントされたTシャツが流行ったり(嘘みたいですけど、本当の話)、
日本の漫画の翻訳本も書店にたくさん並び、映画も公開されました。
その頃韓国の映画館で観た日本の映画は岩井俊二監督の『ラブレター』。
一人二役で主演した中山美穂の「お元気ですか~?」の台詞が流行り、
よく「お元気ですか~?」と声をかけられたものです。
で、日本語Tシャツの話。
実はプレゼントに貰ったことがあるんです、その日本語Tシャツ。
胸に大きな女の子の絵があってその横に、
これまた大きな文字で「やまとなでしこ」と書いてあるTシャツ。
「やまとなでしこ」
絶対着れんでしょ・・。日本人女で「やまとなでしこ」って書いたTシャツを堂々と
着る勇気のある人はいないでしょ。その箱を開けた瞬間に、一緒にいた日本人男子が大爆笑したのは
言うまでもありません。外国語の言葉が書いてあるものはきちんと意味を確認してから
プレゼントすべきだということを学びました。
私は、ありがたく受け取って、、、、でもやっぱり
そのTシャツに袖を通すことはありませんでした。
Tシャツは帰国の際、中国人のルームメイトがありがたく貰ってくれました。感謝。
そして前回触れた、歌手のY2K。
日本人2人と韓国人1人からなる歌手グループで、99年の第二次日本文化開放後に出てきたと
記憶しています。その前にもSESという、在日コリアンがメンバーにいるグループはいましたが、Y2Kは日本人メンバーが2人と韓国人が1人で画期的だった。その後、
ユミン(笛木優子さん)ら日本の俳優が韓国デビューしたり、
日本人の素人さんが出るトーク番組とかが始まって
韓国のテレビで日本人を見るのが当たり前になりましたが、当時は珍しかった。
Y2K (와이투이) - 헤어진 후에 (After Breaking Up) (1999年) - Bing video
99年。第二次日本文化開放の年。
つづく