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Cafetalk Tutor's Column

Yuka-t 講師のコラム

99年韓国留学記 ①留学中に北と戦争になりかけた(第一次延坪海戦)

2022年7月27日 | 2 コメント

今の韓国のイメージは「おしゃれ」で「かっこいい」のようですね。
この30年で日本人の韓国に対するイメージは激変しました。
一足早く韓国語を始めた一人として、インターネットが普及する前の、
まだ情報がなかった頃の韓国をご紹介しておきたいと思い、このコラムに不定期ですが
99年留学記として連載しようと思います。

では、記念すべき第一回目は

①韓国留学中に北と戦争になりかけた(第一次延坪海戦)

いきなりショッキング。

私は長期交換留学生として派遣されたので、事前授業というものを渡韓の半年前から
10回程受けまして、そのとき先生が口を酸っぱくして言っていたことが
「あなたがこれから行く国は休戦中の国だ。忘れるな」
でした。全10回、近寄ってくるスパイに気を付けること、などなど
留学を本気で考え直そうかと思うほど色んな話を聞き、本も読まされ、、
自分なりに心得てから、いざ留学。

でも住んでみると案外なんてことないんですよ。まあ、ちょこちょこ
迷彩服の軍人が学食でご飯食べてたり、授業中に訓練所の銃声が聞こえたりはしましたが、
平和に過ごしていた留学生活。

ところがそんなある日、起こったのです。
黄海(仁川沖)で北朝鮮の船が境界を超えて侵入し
韓国軍と銃撃戦が勃発。そして韓国軍にも死者が出たのです。
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仁川港は封鎖、私の記憶では金浦空港も多分閉めて(当時はまだ仁川空港開港前)、、
テレビはずっと交戦の報道で国防軍の会見、交戦の映像、戦死者の写真が流れ、、、
いつもなら昼食時間、お昼の連ドラが終わって♪トンヘームルガー♪のあの愛国歌が流れてから
砂嵐になっていた
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(2005年に12時~16時の昼放送が開始されるまで韓国は放送休止時間でした)
食堂の大きなテレビが、ずー-------------っとニュースを放送しているではないですか。
緊迫感、半端ない。
テレビの前には兵役を終えた男子学生が陣取って食い入るようにテレビを見つめ、
食事が終わっても席を立つことがなくテレビを見ながら「戦争になれば自分はどこの部隊から招集される」だとか、本気開戦モード。

この国は休戦中だった。

それを思い知った出来事でした。
後で聞いても、大学の先生すら「あの時は戦争になると思った」とおっしゃっていた交戦。
友人男性に、戦争になったらどうするのかと聞いたら、迷わず「銃を持って戦うんだ」と言っていたあのとき。「あらら大変」「オッパが心配だ」という女子学生からは、それほどの緊張を感じなかったあのとき。

緊張は一週間ほど続きましたが、結局戦争にはならず、事なきを得たのでありました。

仁川港と金浦空港封鎖のニュースを見ながら、一緒に交換留学した友人が言った一言。
「俺たち、自衛隊が迎えに来てくれるのかな」
今でも忘れられない一言です。
「帰るなら釜山港からだね」とか話した99年の初夏。二十歳の夏。今思えば結構すごい経験してた。

途中帰国することにならなくて、よかった。

そしてあの時見た「韓国で男子に生まれること」は
今起こっているフェミニズムに対する私の考え方にも、
多少なりとも影響を与えているのだと思います。

若干二十歳。私が若かったころに見た韓国は、こんなところでした。

最後まで読んでくださってありがとうございました。
②に続きます。

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