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Cafetalk Tutor's Column

Arimi 講師のコラム

Grazie, Diego!!!

2020年11月26日

今朝、小学6年生の長男の修学旅行出発のためにいつもより早く起きてスマホをチェックしたら、ドキッとする(なぜかウルグアイの)ニュースの見出しを目にした。

 

El mensaje de Mujica y Topolansky por la muerte de Maradona:Inmenso dolor

マラドーナの死去に捧げたムヒカとトポランスキーのメッセージ:「測り知れない痛み」

https://www.elpais.com.uy/informacion/politica/mensaje-mujica-topolansky-muerte-maradona-inmenso-dolor.html

 

 

え!!!マラドーナが死んだ???

 

すぐにナポリ人である夫に知らせると、夫も信じられない様子で言葉を失っていた。子どもたちもなんだなんだと起きてきて、朝ご飯の間中、話題はマラドーナの話でもちきりになった。

 

”Il calcio”(サッカー)はイタリアとはきってもきれないスポーツなので、曲がりなりにもイタリア語を教えている私も、アップデートしておきたい“argomento”(話題)の一つである。

私は必ずしも熱狂的なサッカーファンではない。でも、夏に夫の実家に帰省すると、必ず親戚が集まってフットサルの試合をするのだが、子どもやおじさんたちに混じって私もアキレス腱を切らない程度にプレーするし、子どもの習い事のサッカーの試合は必ず観戦して、にわかファンならず、インスタント・コーチと化して大声で指示を出してしまう。(子どもにもう試合観に来ないでと言われる日は近いかもしれない)

 

Diego Armando Maradona。アルゼンチン出身の元サッカー選手で、知らない人はいないサッカー界のレジェンドだが、プライベートでもかなり破天荒な人生を送ったことで有名だ。その彼が、イタリアのSCCナポリでプレーしていた1984年から1991年の間に、SCCナポリをチーム誕生以来初めてセリエA優勝に導いたことから、ナポリでは、今でもまるで王様のように愛されている。イタリアの街角には、“ledicola religiosa(エディクラ:建物の外壁などに設置された小さな祭壇)がたくさん見られるが、ナポリの歴史地区の中心には、なんとマラドーナを祀った“l’edicola religiosa”まであり、まるで聖人のように崇められているのだ。

 

私がナポリで学生時代(と言えるほどろくに学校には通わなかったが)を過ごした“Quartieri Spagnoli”(スペイン地区)のアパートのすぐ近くには、マラドーナの巨大壁画Murales(ムラーレス)があって、いつもその下の広場ではナポリの“scugnizzi(シュクンニッツィ:やんちゃなストリートキッズたち)がサッカーをしていたのを思い出す。

 

だから、私の愛すべきナポリ人たちがこのニュースを知って、どれだけ落ち込んでいるかを想像すると、とても胸が痛む。イタリアのニュースを探してみると、やっぱり、ナポリではいたるところで追悼集会が開かれていたようだ。

 

“Maradona, i tifosi del Nappoli si radunano sotto al suo murales.”

マラドーナ。ナポリファンたち、彼のムラーレスの下に集う。

https://www.corrieredellosport.it/foto/calcio/serie-a/napoli/2020/11/25-76791179/maradona_i_tifosi_del_napoli_si_radunano_sotto_al_suo_murales

 

今年は、新型コロナウイルスに始まり、マラドーナだけではなく、私が敬愛する映画音楽の作曲家Ennio Morriconeも亡くなるなど、“Inmenso dolor”を感じることが多い年だ。

 

さて、小6の我が息子はというと、何とか無事に決行になった修学旅行に心ウキウキで、「さびしいから行かないで~~」とすがりつく私(先が思いやられる母である)を振り払ってぴょんぴょん跳ねて玄関を出て行った。その息子を歩いて学校まで送る夫の後姿は、やっぱり少し悲しげだった。

 

私は二人を見送ってから、いつもより倍くらいの砂糖を入れたエスプレッソコーヒーを一気に飲み干して、気を取り直して一日をスタートさせた。どこかの哀愁を漂わせたナポリ人がつぶやいたセリフを思い出しながら。

 

Perché bevi caffè senza zucchero? La vita è già amara abbastanza...

「どうして砂糖を入れないコーヒーを飲むんだ?人生はもう十分苦いのに、、、」

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