自分事で申し訳ないのですが、私は「普通に過ごす」ことが好きなタイプです。
「普通に過ごす」とは、起きる、食べる、歯を磨く、歩く、仕事をする、本を読む、テレビを見る、散歩する、、、などなど
初級外国語で登場する動詞のような生活です。
私は学生の頃フランスに留学しましたが、あまりに普通に生活していたものですから
特に語学留学に来ていた友人たちからは「あれ?フランスに住んでる人だっけ?」とよくからかわれたものです。
さて、この度のコラムのテーマは「アウトドア活動」ということです。
「アウトドア活動」というとキャンプや、ヒッチハイクなどの自然の中での活動や、もっと踏み込んで、サーフィンやロッククライミングなどのスポーツも該当すると思います。
基本的には、外で、なんらかの活動をすることを指すのではないでしょうか。
「普通に過ごす」ことが好きで、それに慣れきってしまった私は、
普段しないことに対して活発に動くことはできなくなっているような気がします。
一方で、「普通に過ごす」ことが叶うなら場所は選びません。
自分の家でなくてもいいのです。海でも山でも川でも洞窟でも、他の国でも。
「外にいる」ことが「アウトドア活動」の必要十分条件なら、私はアウトドア好きということになるでしょう。
その意味でのお気に入りのアウトドア活動は、海に行って、ご飯を食べること、コーヒーを飲むこと、本を読むこと、散歩すること、この4つです。
私は静かなビーチの近くで育ちましたので、海は家の延長線上です。
また、キャンプ好きの父の影響で外での生活の経験が十分にあるので、家でやっていることを外でするのに居心地の良さすら感じています。
そんな中で私が思うのは、
いつもやっていることは、普段繰り返し行なっているその「こと」に定義づけされているだけではなく、その「環境」に大きく影響されているということです。
いつも食べるパンを、自分が住む家の、いつもの机で食べるのと、
砂浜にある大きな石の上に座って食べるのとでは、違うのです。パンに傾ける視線がずいぶん違うのです。
そしてこのような気づきは、自分の家でパンを食べるときにも反映されます。
「海でパンを食べたなあ」「外で食べるパンは特別だな」「このパンの耳は特においしいな」
言ってしまえば平凡な気づきでさえ、
いつもの日常に違う印象を投げかけると知った時、平凡という言葉に疑問をもつほどです。
さて、この時点で「普通」だったはずの生活は、依然として普通に過ごしていることに変わりはないものの、少しだけ普通からずれたものになりました。
そういう心地の良いズレを生み出してくれるのが、アウトドア活動だと思います。
だからこそ、私はアウトドアなるものが大好きです。
長文、失礼いたしました。
皆様、今日もすてきな一日をお過ごしください。