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Cafetalk Tutor's Column

Rie_Takayama 강사 칼럼

言語を学ぶ(教える)楽しさと難しさ Vol. 2~ World Protocolを身につけよう!

2015년 12월 2일

前回、同じタイトルで投稿した際に、「世界公用語としての英語」の学び方について少しコメントしましたが、今回はその続編です!

私は英語以外に、今も取り組んでいるフランス語とイタリア語をはじめ、他にも、韓国語とドイツ語を勉強し(ようとし)たことがありますが、正直英語以外の言語の方がやってて純粋に楽しいです!・・・・なんて言うと英語の先生方にお叱りを受けそうですが、たぶん、単純に英語が人生で初めての外国語であったことと、あとは受験や就職など、学ぶ目的が楽しさや興味よりもその先にある別のことと直結していたため、あらゆる点でプレッシャーがかかっていたことが、英語の勉強=ちょっぴり大変だった理由かなと思います。

でも、現在では、英語を始めに身につけておいて本当によかった!!!と思えることがたくさんあり、そのうちのひとつが、前回の内容とも関連するのですが「世界公用語」という位置付けにある言語を理解できるメリットを多くの場面で感じるからです。それも、英語を勉強し始めてから早ン十年、の今でも、というより、年月が経つほど、世界が狭く小さくなっているスピードを感じるのと、また自分自身がその世界のいたるところに友人がいたり、フランス語やイタリア語など別の言語や文化を学んだりしている中で、英語学習によって培ったことが言葉そのもの以外でもたくさん、役立つことが多いからです。

これまで私の英語学習を助けてくれた数多くの先生方や友人、その人たちの国籍は学生時代の先生方も含め様々で、日本人、アメリカ人、イギリス人、オーストラリア人、カナダ人などなど・・・・ですが、そのすべての方たちと、ここカフェトークで英語を教えていらっしゃるすべての先生方へのTributeとして、僭越ですが英語学習から得られるものの素晴らしさを書いてみようと思います。

私が英語を身につけてよかったと思うことはたくさんあります。それは、仕事や、海外に旅行した際などに実用的にコミュニケーションができるということももちろんそうなのですが、実は言語の運用以外のことの方が大きいように感じているのがここ最近の実感です。イタリアに滞在していた時も、またその間にヨーロッパの国々を訪れた際にも感じたこと。それは、世界標準のマナーを自然に振る舞えるようになったことです。

世界標準のマナーと言っても、国際会議だとか、世界のセレブが集まるパーティなどで必要とされるものではなくても、日々様々な国の人たちと交流する上での礼儀や、常識としてとらえて頂ければいいものです。そして、この世界標準のマナーさえ自然に振る舞えるように身につけてしまえば、世界のどこへ行っても好感をもたれ、得をすることが多いものだとも言えます。私はこの世界標準のマナーを英語で「World Protocol」と呼んでいますが、誰かからマナー講座や何かで教えられたものでも、「必ずこうすべきもの」として身につけたものでもなく、海外の人たちと触れ合う中で自然に学んだもので、相手の方の国籍や年齢、立場に応じて臨機応変に変わるものであり、ひとつの絶対的な答えがあるものではありません。そしてこれらは、親戚に外国人がいたわけでもなく、幼い頃海外に住んだ経験もなかった私が、英語を学んだことで覚えたことがらです。また、アメリカではこう、とかイギリスではこう、というのではなく、言語を学んでいくうちに中立的な視点と立場で共通マナーを知ることができるのは、英語学習ならではのメリットだと私は思います。

ところでこのWorld Protocolは、ときには日本の常識やマナーとはまったく正反対のものにもなり得るので、身につけることで自分の視野が広がり、柔軟な対応力が可能にもなると思います。

たとえば、「レディーファースト」。西欧の習慣として始まったものではありますが、現在は国際的なマナーになっているものの一つだと思います。レストランで給仕されるときやタクシーや車の乗降時、また何でもない場面で外国人女性(欧米人、アジア人、その他にかかわらず)と交流する際にも、男性の場合どのように振る舞うかでその方の印象がまったくかわってきます。もちろん、世界にはレディーファーストが根付いていない国もたくさんありますが、相手がたとえば多国籍の方々であったり、またその国の慣習が不確かな場合、準じることで無難となるもの、それがWorld Protocolだと思うので、「レディーファースト」はその代表的なものだと言えます。日本人は男性だけでなく、それを受ける側の女性としても、このような場面での振る舞いに慣れていない人がとても多いというのが、私の正直な印象です。

また別の例としては、食事や会計のマナー。レストランなどでグループで食事をする際にも、どのように注文して食事と会話を楽しむか、日本のそれとはまた微妙に異なる「マナー」が存在していたりします。もちろん、その国の習慣やレストランの種類、そして参加者の国籍や年齢によっても異なりますが、大切なのはその状況に応じて適切に振る舞えるということです。あまりまだ親しくない間柄での会話で話題にしてOKなこととやめたほうがいいこと、日本ではジョークで済むことが深刻な誤解を生んでしまう場合など、話題選びも大切だったりします。また会計時には、場合によっては「スマートな会計」というのを暗黙に求められることがあり、それはその食事が誰の招待で、また招待した側が男性か女性かによっても異なってくるので、今自分がどの立場にあるか、見極めて適切にふるまうことが必要となったりします。「ここは相手にご馳走になるべき」場面で、お財布から現金を出して「自分の分は払います!」と言い張る日本人の方をたまにみかけますが、かえってみっともなくなって場をしらけさせてしまうので、このような振る舞いには気をつけたほうがいいと思います。

またこのような「世界標準の○○」という話をするときに、「俺(私)は日本人なので、日本式で貫く!」という方や、「何でもかんでも『西欧かぶれ』になっている人は、世界交流に必要な日本人としてのアイデンティティがないし、それでは相手から尊敬されない」という理論を展開される方も必ずいらっしゃいます。

でも、私の意見では、自分のアイデンティティをもつ、ということと、日本の外で世界の様々な人と交流するときの普遍マナーを身につける、ということは別のことだと思っています。マナーとは相手を不快にさせないこと。自分流を押し付けることはその正反対にもなりかねません。また、「西欧かぶれ」という理論はもはや時代遅れで、その理由のひとつは、World Protocolとは、ある一つの国の文化や常識に従うものではなく、皆が心地よく交流するための共通マナーであるので、かつてのような植民地化論や、その他の西欧スタンダードに抵抗する理由は意味をなさなくなってきていると思うからです。世界をリードし最も影響力を与えている「良いもの」をいち早く見極め、学び取り入れることは、この変化の速い現代でしなやかに生きていくためのひとつの術ですし、またその結果、私たちの世界が広がり豊かになるのは紛れもない事実ではないでしょうか。グローバル化が進み、世界がより狭くなっている現代ではその重要度はなおさらだと思います。

今世界はかつてない、二極化の対立にさらされています。それは、表面的には宗教であったり、また富めるものと貧するものなど、いくつかの定義づけができますが、大局的には私たちが目指す真の平和、ひとつになって前に進む段階で起きている試練にも見えてなりません。環境問題、貧困問題、紛争、難民・移民問題など、私たちがひとつになって考え、解決しなくてはならない問題が世界にはたくさんあります。そして21世紀の現代は、ある部分では今やっと、ひとつになって前に進むことができる準備が整いつつあるのだとも言えます。インターネットというインフラ面や、弱肉強食的な意識から卒業したあとの、皆で共通の世界を目指すという精神面で。

英語を学ぶことは世界を知ること。そして、世界を、自分と大切な家族友人、また異なる場所で生きているたくさんの人たちが共に暮らす共通の場所だという意識をもつこと。それを教えてくれたのが英語学習であり、そのことを以前より強く感じるようになりましたので、ぜひ皆さんとシェアしたいと思いました。

写真はイタリア留学時代にイタリア語クラスの仲間と撮影したものです。ベルギー人、ドイツ人、韓国人、スペイン人、メキシコ人、そして日本人の様々な年齢のクラスメイトと共に、世界のいろいろなことについてイタリア語で議論し、ときには白熱することも。そんなとき、イタリア語がうまく出てこない際にも助けとなったのが英語でした。ここに掲載するのに許可は得ていませんが(!)、怒らないだろう、というメンバーとして勝手に載せています(笑)。

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