こんにちは。講師のsunaです。
今日は、高学年、中学生向けの自由研究の指導のヒントです。
理科の授業は、教科書の中にとどまらず、どこの学校でも、実験の実習が行われています。
実験の授業は、実験道具の具体的な使い方を習い、学習の理解を深めてくれることと思います。
「同じ条件をそろえると、同じ結果が出る」事を確認する実験を行うことを、「再現性を確認する」と言います。
理科の教科では、学習内容について再現性をとり、実際にその手で確かめて、理解を深めるわけです。
また、条件を一つだけ変えて、どの条件が結果を左右しているのかあぶりだすための実験のことを「対照実験」と言います。
ある夏休み、女の子が、自由研究のため、アリの巣の観察を始めました。
ところが、アリを入れても巣を作らないということが2回続き、しまいにムキになって、そして、
とうとう最後に女王アリをいれたところ、突如立派な巣を作ったとのことでした。
彼女は目標を達成し、生まれた卵や部屋の様子を美しくまとめて、素晴らしい研究が出来上がりました。
生き生きとアリの生活が紹介され、建築会社のコマーシャルなどにも使えそうな感じだなあという印象を
受けました。
けれども、その一方で、あれだけ何度も苦労した働きアリと彼女の汗と涙の物語は、立派に建設された
女王アリの巣の陰に密かに封印されたのでした。
実際、コマーシャルの撮影にアリの巣が必要な人がいたとしたら、最後に出来上がった素晴らしい巣に
魅了され、「アリの巣ができない場合」のことは忘れてしまうことと思います。
さて、この出来事を理科の教科書的に整理すると、、
「女王アリも入れた場合は巣を作る」という結論に対し、
「はたらきアリだけを入れた場合巣を作らない」という、対照実験にあたる実験が行われ、
「2度やっても巣を作らない」という再現性を確認する実験が2回行われたわけです。
そして、最後に「女王アリも入れた場合は巣を作る」という実験が行われました。
「女王アリも入れると巣を作る」という実験に対して再現性が取れていればより良かったでしょうか。
ということになります。
ここには、客観的考察がありますが、美意識のようなものは欠落しているかもしれません。
その一方で、、彼女の作品が科学研究かと言われると、科学と言うには創作的だと言う他ありません。
彼女は、素晴らしいアリの巣を創作しました。だから、私は、けして「科学的じゃないものに価値がない」と批判しているわけではありません。大変、創造的で創作的だったといえる。
しかし、もしこれが科学だというのなら、科学者がほしいのは、創作方法であって、偶然の産物ではない。偶然はスタート地点です。再現性のためのノウハウや条件がもう少し大切に考えられます。
だから、再現性を確認するのに十分な条件が揃わない研究というものには大変冷たいのです。
いろいろな価値観についてお伝えすることも大事です。
「理科の授業的に考えると」と、上記解説を加えさせていただきましたが、
この自由研究はこのまま大切に提出してもらいました。
血液型占いの自由研究というものも見せてもらったことがあります。
私は、占いの本を読んでまとめることは、立派な自由研究だと思いますが、
科学的考察なのか、それとも、、宗教学のように「~と考えられている」という文化人類学的考察
なのか、その区別がついていないということもまた、とても危険だと考えています。
熱心な生徒にこそ、いろいろなものの見方があることを伝えてほしいと思います。
高等学校の数学の教科書に、命題と集合という単元が出てきます。私には、何故これが数学の教科書で扱われるのかよくわかりません。
小学校や中学校でも、意欲的な子どもがグレーゾーンをさまよっている時には、少し補足して良いと考えます。