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Cafetalk Tutor's Column

Keisuke.H 강사 칼럼

I was a bocchi.㉜祖父ちゃん子、ショウゴ

2024년 7월 9일

ショウゴはおじいちゃん子だった。
学校に遅刻しそうになると、
おじいちゃんの自転車の後ろに乗せられてやって来た。
ハシモト先生はこれが気に食わなかったようで、
その都度ショウゴにブツブツ文句を言っていた。
 
僕も朝に弱いし、家が遠かったらそうなる気がして、
それについてはショウゴをからかう気がなかった。
ショウゴの家に遊びに行っても両親とは会ったことは1回だけ。
両親が忙しかったから祖父母と遊んでいた。
多分そんな感じだと思う。
 
優しく元気だったショウゴのおじいちゃんも、
いつまでも元気なはずがなく、
何かの病気で入院して亡くなった。
ショウゴはショックだったのか学校に来なくなった。
ハシモト先生はクラスのみんなで
ショウゴに励ましの手紙を送ろうという企画した。
短冊みたいな細い紙にメッセージと名前を書けと言われた。
 
僕は死がわからなかった。
身近な人の死に立ち会ったことはなかった。
だから、死別が悲しいとか、励ますとか、全く理解できない。
サボりなんじゃないかと思った。
でも、励まさなければいけない。
わからないものを表現しろと言われても無理だ。
 
ショウゴは嫌いだったが、
そこで追い打ちするのは卑怯な気がした。
無難な一言を書いてやり過ごすことにした。
『悪いこともあれば良いこともある』
だいたいこんな内容を書いた。
余白があったので、
『人生楽あり苦あり』をグラフで表現した。
 
死別で悲しんでいる人に何て声を掛ければいいかなんてわかるわけがない。
正解がない問題はダメ出しすればすべて不正解だ。
せめて模範解答が欲しかった。
 
僕は周りのみんなから非難を浴びた。
何でもグラフが心電図に似ているらしい。
そんなのわかるわけがない。
集中治療室に入ったこともないのだ。
みんなからあまりにも言われるからグラフを消した。
 
ハシモト先生は何も言わなかった。
助け舟を出してくれるなんてことはなく、
ただ、僕が周りに非難されるのを見ていた。

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