何度、どん底を見ればいいのだろうか。
自分で選んだ道とはいえ、わたしは“そんな事ばかり”を思い
愚痴や弱音を周囲に吐いた。
仕事場では、相変わらず不貞腐れた顔で、態度で仕事を続けた。
自分の思い込みや好き嫌い、何も知ろうともせず自分の中で切り捨て、諦めるような日々。
その繰り返しに、ほとほと嫌気がさした時
自分の醜さ、傲慢さ、情けなさ、馬鹿らしさがはっきり見えた。
今の自分に、欲しい物が手に入るわけがない。
自分の現状を悲観・悲嘆したところで、何も変わるわけがない。
そう思った時、わたしに何が出来るか?と、改めて考えた。
この大嫌いな町で、仕事場でわたしが出来る事。
言葉での限界を思った時、出来る事は小さな事しか見つからなかった。
一日の始まりが大切だ。
わたしは会う人、会う人に自分から笑顔で「おはよう」と挨拶をしていった。
工場のワーカーたちは、わたしの傲慢な態度を沢山見て来た。
初めは、挨拶に答えてくれる人はおらず、戸惑う顔を見せる者もいた。
わたしは乏しい英語力を駆使して
積極的に、マネージメントチームやワーカーの中に入っていき
彼らの声を聴き、皆で現状を変えていける道を模索した。
相変わらず生産工程では問題ばかり起こり、製品の出来にも問題が続出していた。
だが、それまでとは変わり、そこで働く皆が
「何とかしよう」 そんな意識の変化が、見えるようになっていった。
それは、同時にわたしの変化でもあった。
K社の契約社員として働き始めて、もうすぐ9か月が経とうとしていた2001年8月。
わたしのビザ・永住権問題に「うまくいけば急転直下」といった案が浮上した。
CW社はちょうど、ホッキ貝の日本への輸出が増えていたところで
特にK社は日本でのカナダ産ホッキ貝のトップシェアを持っていた。
日本でのシェアを維持、また伸ばしていくためにも品質の改良、安定は最重要課題。
そこで出てきたのが…
ToriaがCW社の社員になり、現在やっている仕事をするのはどうか。
実は、この案はCW社の営業部長が言い出した。
しかし、K社はあまり乗る気ではなかった。
だって! CW社の社員になってしまったら
お客としての、自分たちの希望・要望・クレームが言いにくくなる。
K社の本部長は「ビザ・永住権への願いは叶えてあげたいが…」と言いながら
その案で行くのは回避したいようだった。
とはいえ、わたしは半年前にCW社の選考には一度落ちている。
しかも、ビザや永住権のサポートをして雇用をした前例がないのに
それを覆しての入社への道は
どう考えても、無理としか思えない。
でも、その道は確実で最良で
何よりToriaの一番の願いが凝縮した「道」だった。
わたしは、K社の本部長や後押しをしてくれているCW社の営業部長を交えて
何度も話合いを重ね、最終的にK社の社長と話し合いを持った。
「Toriaさん、CW社に入りたいか?」
K社の社長の問いかけに、わたしはすぐにハイとは答えなかった。
これまで、ここまで支えてきてくれた恩義を思うと
さっさと「CW社に行きたいです!」と言えなかったのだ。
わたしは言葉を選んだ。
「現状、労働ビザ・永住権に繋げられるのは
CW社でサポートしてもらうのが確実だと思います。
それに、御社のためにも、もっとメリットを見いだせるとも思います。
出来れば、CW社に入りたいです」
ゼロからの出発をしようとしていた、あの日
K社の社長がわたしに言ってくれた
「あなたの夢を応援しましょう。仕事も永住権も」
その言葉通り、社長はわたしのために大きな決断をしようとしていた。
CW社のお客であるK社の社長が
一契約社員のToriaを
「あなたの会社で雇ってもらえないか」と頭を下げるのだ。
まだ残暑が残る9月、K社のオフィスで
K社社長とCW社副社長との話し合いが持たれた。
製品の買付に関するミーティングの最後に、Toriaの雇用に関する話が出た。
そうそう簡単な話ではない。CW社では前例がない。
あきらめかけた夢と希望を、もう一度胸に
再び、挑戦がはじまった…
家入レオ「Shine」(2012)
自分を変えようと思った時から、見えない変化は始まっていたのでしょうか。
なんと! あきらめかけていたCW社へ入社する道が
また浮かび上がってきました。
それは、どう考えても無理なお願いとしか思えないのですよ。
今考えるとね、K社の社長に本当に、悪い事をお願いしたと思います。
だって、輸入元(お客)としてデン!と構えていたいところを
こんなToriaごときのお願いをしてもらうなんて。
それでも、私は自分の人生を・カナダでの人生を拓きたくて。
日本でのミーティングの結果を、私はカナダでじっ!と待ちます。
さて、結果はいかに~続きを読む
TORIA (o ̄∇ ̄)/