▶「②またも絶望、そして宿命」を読む
▶「③大きな選択が迫る」を読む
▶「④母の約束」を読む
▶「⑤母、そして家族」
▶「⑥親子以上の親子」
カナダに戻ってからのわたしは
改めて、心理学とコーチングの研鑽を重ね
加えて介護関連の資格の勉強を始めた。
そのきっかけは、母がお世話になった病院の中で
日々、高齢者とそのご家族の方の人間模様。
わたしたち家族と同様の苦労や苦悩が、そこには重なって見えた。
「わたしに出来ることは何なのか?」
自らの体験と共に、学ぶべきことが増えていく日々が続いた。
そして…
母が倒れた日から800日余りが経とうとしていた。
9月のその日
飼っている猫が、ベッドに横たわり
ブラインドの隙間から空をずっと見上げていた。
何か、それがとても不思議で
わたしは、猫の姿を写真に収めた。
その1時間後、母が亡くなったという報せを受けた。
聞けば、猫が空を見上げていた頃に息を引き取っていた。
覚悟していたとは言え、母が死んでしまった…
母と二度と会えなくなってしまった…
母ともう話すことが出来ない…。
そう思うと、涙が止まらなかった。
次の日、わたしは胸のなかにぽっかりと空いた穴を抱きしめ
朝の道を歩いた。
道端に咲く花を見て、花が好きだった母を思い出し涙が溢れ
もっと、母に何かしてあげられたのではないか
もっと、良い娘でありたかった…などと
今さら悔いては、また涙が溢れた。
歩いてきた道を戻りながら、急に何か気配を感じ、後ろを振り返った。
一匹のリスがいた。
ずっと、こちらを
わたしを見ている。
わたしは前を見てまた歩き始め、また振り返る。
やはり、リスがぽつんと立っている。
わたしは思わず「お母さん」と呼んだ。
そのリスは、何処かに隠れてしまった。
2、3歩あるき、わたしはまた振り返った。
やっぱり、リスがいる。
わたしとリスはしばらく、目を合わせていた。
そして、聞こえた気がした。
「いつも、見ているからね。ずっと見ているよ。」
その後、どんなに振り返ってもリスは姿を見せてはくれなかった。
母が形を変えて、姿を変えて、来てくれたのかもしれない。
そうとしか思えなかった。
母がいない。
悲しく、寂しく、残念でならない。
でも「そのとき」わたしは、長いトンネルを抜け、すっきりとした心持ちになっていた。
カナダに来てからの様々な苦労。
死のうかと思った、あの日。
転職と就労ビザを繋いでいきながら永住権を目指しての、ぎりぎりの生活。
すべての歯を失う未来、目の病気での失明への恐怖。
家族との確執。母を看取ることも、葬儀に出ることも出来ぬこと。
わたしと母は、いくつも同じ共通点を抱えていた。
親と子の宿命だろうか。
自分の、自分の家族の背負った出来事、苦しみ、悲しみ、辛さ、怒り。
そして「生老病死」。
改めて、ひとつひとつ思い返した時
自分の人生を、母の人生を悲観するのは止めよう。
宿命を呪い、悲しむのは、もう止めにしようと思った。
ここからは
自分の「宿命を使命に変えて」生きていこう。
その思いが、身体の底から
心の底から湧きあがった。
それから3年余り経ち…
コロナという世界中が皆、同じ脅威と向かいあう日々の中で
「いま、この時だからこそ!」と決意し
自分の思い描いていた予定よりも早く
わたしの人生のなかでの大きな仕事
人生の最後までやり遂げたい「傾聴」の道を歩き始めた。
わたしの人生のなかでの大きな仕事
人生の最後までやり遂げたい「傾聴」の道を歩き始めた。
雨に濡れていたら傘をさしかけ
目の前が暗ければ灯をともす。
人の心に寄り添える自分でありたいと、日々思いを深くし
現在(いま)わたしは此処にいる。
Bette Midler「The Rose」(1979)
母の葬儀は、亡くなってから4日後。
わたしはカナダにいて、参列はしなかった。
すぐ上の姉が、ビデオ通話で棺に横たわる母の顔を見せてくれた。
その顔は、見事な成仏の相。
わたしに自らの姿で生き様を見せ、最高の思い出を残していった。
まさに、宿命を使命に変え、使命を果たしきった
天晴(あっぱれ)な母だった!
「お母さん、ありがとう。また、会おうね」
それが、母に投げかけた最後の言葉。
でも、今も…毎日
わたしは母と対話している。
どんなに、辛くても悲しくても寂しくても
そこにある
ふと気づく「小さな幸せ」がある事を。
あの「傾聴」の日々を懐かしみながら... the end.
*「おまけのあとがき」を読む
TORIA (o ̄∇ ̄)/