*カナダへの道【前半】を読む
*いざ!カナダへ⑬
*想像と現実⑭
*未知なる道へ⑮
*でこぼこ道を歩き始める⑯
*落ちぶれた、わたし⑰
*転んでも。⑱
99年5月
フランス語しか通じない、あの小さな町での出張を終えると
私はすぐにニューファウンドランド州と
ノバスコシア州のケープブレトンへ
毎月のようにホッキ貝の検品とオペレーション業務で出張に出る事になった。
日本の輸入元担当者と共に、何日も工場に入り
時には、深夜のシフトを視察しながら、製品を検品していく。
英語は、相変わらず怪しいわたし!
でも、何とかなっていたのは
日本から毎月のようにやって来る担当者のお陰だった。
わたしは、この時期
かなり、オドオドしていた。
英語に自信がない。工場オペレーションもまだわからない。
実は、ホッキ貝の事も知ってるのかどうなのか!?
でも、“その時のわたし”に出来る仕事は、それだけだった。それしかなかった。
何の希望も使命も、責任感も持たぬまま
「これしか出来ない」
いや、「これさえ怪しい」
そんな仕事を、日々を、わたしは繰り返していた。
特に、ニューファウンドランドでの仕事はきつかった。
夕方から早朝までのシフト。
それだけではなく、ニューファウンドランドでの一番の苦しみと言えば英語。
英語が…わからない。
もともと、英語は出来ないのだが
全く、何を言っているかわからない。
英語に聞こえない( ゚∀゚)。
そんな英語を、わたしがわかるワケがない。
後に知ったところでは、近隣の州のカナダ人でさえも
最初、理解するのにちょっと時間が掛かる…
それがニューファウンドランドの英語。
何しろ「ニューファウンドランド英語辞書」なるものが、発売されているほど。
そんなカナダ!
そんな英語の大海に、わたしはいきなりぶち込まれたのだ。
放り込まれた~なんていう、かわいいものではなく
ぶち込まれた!が正しい。
溺れるか… それとも、這い上がるのか。
このスパルタのような、カナダ生活の始まり
そして積み重ねは、過酷だった。
出張しない時は、共通語を持たないキューバ人とウニの仕事。
出張すれば、英語がわからないカナダ最果ての町。
どっちがマシかと言われても、どっちも選べぬほど厳しく苦しかった。
それでも、カナダの永住権が取れたら先は明るいはず!
それだけを思い、信じながら、泣きながら
生きていた…
Misato Watanabe - 10 years (1988)
10年後どころか
明日どうかさえ、わからなかったですね~。
それにしても、基本の英語があやしいのに
もっと難易度が高いトコロへぶち込まれたToria。
まさに…\(。⊿°)/ こんな感じですよ。
泣くにも泣けない、どうしていいかわからない。
逃げるところもない。
八方塞がりです。
次回は、大きな転機というか
今の私の、この仕事に通じる出来事が起こります。
あの時が無かったら、TORIA はいなかった…~続きを読む
TORIA (o ̄∇ ̄)/