大体の方がわかりやすい言葉でいうと、ご自身の潜在と顕在の距離が見失う程離れている方が多く、そうなるべきではないのに病気を抱えていたり或いはメルヘンの中で生きてる方を多く見受けられます。
もちろんそれもその人の人生なのでお好きであればそれで良いのですが、気付けるのであれば本来の自分自身で、生まれてきた使命を全うして欲しい。そう思っています。
ご自身が謙虚に自分自身を見ることができれば難しい事はありません。
口当たりのいい、キラキラした物ばかり追うのではなく、自分自身に帰りましょう。
あなた以上にあなた自身はそう願っています。
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ところで、プロフィールに原田雪渓老師の言葉「本来の自己に出会わぬ限り本当の心の満足はない」と引用していますが、この意味をわかる方はいるでしょうか。
私も足を踏み入れた頃には理解出来なかったと思います。
十数年通して自己に向かい合って、大きな結実を得たとき、振り返るとこれを得るためだったのだと分かりました。
私はとても腑に落ち納得していますが、知らない方には宇宙の果てくらいのはてなだと思います。
それでは『悟り』という言葉はどうでしょう。
人はよく悟りたいと言いますが、多分それは振り回されずどっしりした自分でいたいというようなことではないでしょうか。
本来の自己はそこにあります。
上に書いたように、考える頭(顕在)と魂(例えますが、潜在)がバラバラなので喜怒哀楽に振り回されます。
実にこれは疲れる事です。
この振り幅を狭めていく事が悟りといえます。
こういうと超簡単ですが、人は面白いもので、素直に自分を高める選択はせず、むしろ疑ってかかり問題を抱えて生活する事を選びます。
知能があるのに困ったものです。
しかしその疑いも悟りには必要な要素なので、決して悪いものではありません。ただ気付けないままではご自身にとって良い栄養にはなりません。
あなたが嫌がろうが後回しにしようが魂は今生経験したがっているので、怪我や病気、または嫌な人を遣わしてアピールしてきます。
自分自身の謎を紐解いていかない限り、魂のアピールはずっと続きます。
自分を癒す、または助けられるのは自分しかいません。