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Cafetalk Tutor's Column

suna 講師的專欄

数学の先生

2018年2月18日 | 2 評論

中学生が面白いことを話していた。

お絵かきソフトで手書きの絵を描き、ファイルの拡大と縮小を繰り返すと、線が滑らかになるのだそうだ。イラストを描くときの1つの表現方法として、活用しているようだ。

楽しいイラストに遊び心くすぐられる一方で、この子たちの遊びに懐かしさを感じたりもした。実は、私も、子どもの頃、冒頭の中学生と同じように圧縮や解凍を繰り返して遊んだことがあった。

私が子どものころに流行ったゲームはみんな絵がガタガタで、写真など圧縮したり解凍したりすると、いわゆるモザイクがかかったようにガコガコになったりもした。

大学生くらいのころには、世の大人にとって、このガコガコが大問題なのだと知った。ガタガタした絵はどう見たって元の絵とはかけ離れていたからだ。

滑らかさとは何か??その当時、滑らかさというのは、点在する情報や有限個の情報とは相性が悪そうに思えた。その一方で、物理的に無限の情報という物は保存も送信もできないものだから、何としても滑らかさを保ったまま有限個の情報にそぎ落とすことが求められていた。

まだ、ネットの通信速度も遅く、いかにスマートに情報をそぎ落とすのかということが、

当時の大人たちの一つのこだわりだった。

最近の子どもたちは角をそぎ落とす時に拡大と縮小を繰り返して遊んでいる。これは、別のものの見方をすると、角の情報を失っているというようにも見える。

インベーダーゲームの時代から、ユーチューブの時代まで、大人たちが夢を実現したり、こだわりを貫いたり、その途中で思いもよらないものが生まれたり、それを眺めていることが大好きだった。

数学の先生という肩書は、時々とても恥ずかしい。

そもそも、「数学をやりたい」という人の話はたいてい分かりづらい。

というのも、「買い物がしたい」とか「勉強がしたい」とかいうのと同じで、何を手に入れたいのか、何ができるようになりたいのか、目的については何も語っていないからだ。

「何の役にたつのか分からない」と言われて当然だと思う。

けれども、曇った視界が晴れわたるように、世の中が違って見えるのは楽しい。

20年前はそんなだったけど、20年後はどんな世の中になっているのか楽しみだ。

子どもたちは何をして遊んでいるだろう。

世の中が進歩していく様を見つめているのは楽しい。

誰かの成長や何かの誕生に立ち会えることも嬉しい。

世の中はどんどん変わっていくのに、子どもの好奇心も、大人のこだわりも、今も昔も変わらないことに、ほっとしったりもする。

 

そういう訳で、私は今でも数学の先生をしている。

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