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Cafetalk Tutor's Column

Tutor Ichiro 's Column

徒然草のすごいところ。

Пятница, 8 Ноябрь 2024 r. 21:20

第九十三段に牛を売る者の話がある。
 明日、買い手が牛の代金を払って、受け取るということになった。ところが、牛はその夜のうちに死んでしまう。売れた牛を死なせた持ち主は大損をしたというのが普通の考えであろう。
 これを聞いた人の中にこう言った人がある。「牛の持ち主は確かに損があるとはいっても、また別に大きな利益がある。そのわけは、命あるもの死の近いことを知らないという点では、牛も人も同じである。思いがけず牛は死に、持ち主は生きながらえた。人間一日の命は万金よりも価値がある。一方、牛の値段は大したことはない。万金を得てわずかな金を失ったような人が損をしたとは言えない。」
 並の筆者ならこれを結論として得々としていることだろうが、兼好法師は違う。彼は「皆人嘲りて」その道理は、牛の持ち主に限ることはできないと言うとつなげる。
 この人が「人が生を楽しまないのは、死を恐れないからだ。いや、死を忘れているからだ。あるいはまた、生死の相にかかわらないと言えば、真理を悟っていると言えよう。」と言った。兼好は、「人いよいよ嘲る」と結ぶ。
 仏法の真理をみとめつつも世俗をドグマティックに批判することはなく、むしろどこかで共感している。聖でも俗でもない兼好が垣間見える。
 

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