「俳句」という言葉は、明治時代、正岡子規〔まさおかしき〕によって使われるようになりました。
俳句は江戸時代には俳諧と呼ばれていました。
この俳諧という言葉は、もとは「こっけい」・「おもしろ味」といった意味で、室町時代から江戸時代にかけてさかんに作られた連歌で使われていたものです。
連歌はもともとは、優雅な美の世界をめざすものでしたが、やがて本来の道からそれ、こっけいな言葉の遊びとなりました。次第に、連歌の上の発句(五・七・五の部分)が独立して鑑賞されるようになり、今の「俳句」のもとになりました。この独立したかたちのものを、「俳諧の発句」と呼びます。江戸時代には「奥の細道」の作者で有名な松尾芭蕉などが活躍し、広く庶民にも俳諧の文化が流行しました。
その後、明治維新後に登場した正岡子規が、新しい詩としてよみがえらせようと考え、「俳句」という名前をつけました。
そして今なお、その形態が継承されています。
薔薇は マリア・カラス
色具合が夜の室内に似合います。