こんにちは! 日本語講師のAoi.rです。
今週のテーマ「初めて外国語で会話したのはいつ?」
ですが、「会話」・・・となると中学や高校で英語を学んでからなのですが、
初めて外国語に親しみを覚えたのはいつ・・?となると幼稚園の時です。
私が通っていた幼稚園はカトリックの教会に併設されていました。
その教会の神父様が幼稚園の園長先生もされていました。
イタリア人の神父様で園長先生。
背が高くて、いつもニコニコしていて本当に優しい人でした。
「あおいちゃんはいたずらっ子だね~。」と言いつつ大きな手で頭をポンポン。
それがとても優しくて嬉しくて、姿が見えると走って行ってまとわりついてました。
小学校に上がっても会いたくて日曜になると行って日曜学校でいろいろと教えてもらいました。
イタリアが長靴の形をしているというのもその一つ。
イタリアの歌「サンタ・ルチア」も。
文法も何もすっとばして「スッラマーレルぅチカ~」と大声で歌ってました。
音楽がとても大好きな園長先生。教会にあるエレクトーンで弾くときもあるけれど
アコーディオンを体を揺らしながら微笑みながら弾く。
その姿がとても目に焼き付いています。
時折、近隣の別の教会からやはりイタリア人の神父様がいらっしゃる時があって、二人で話されるときは当然イタリア語・・・。
当時、イタリア語も英語も区別がつかない私は、背の高い二人を見上げ
「日本語以外をしゃべっている。」
という事実に驚いたことを今でも覚えています。
大人になった今、当時の私を笑ってしまうのですが、
いつもいつも日本語で優しく話しかけてくれている人が日本語以外の言語も話すということに初めて出会った時でした。
私が高校生になるころ、寂しいことに教会で転勤がありました。
遠い他県への異動・・。
転勤先でもとても皆さまに愛され親しみ、快適に過ごされていると聞き安堵し、かの地の方をちょっぴりうらやましく思ったことを覚えています。
しかし数年後、ご高齢だったこともあり体調を崩して入院されたとのこと。
しかも入院されてしばらくたった頃、急に日本語が一切話せなくなってしまったと聞きました。
イタリアよりもずっと長く生活していらした日本。
毎日毎日、やさしく、時に辛抱強く、大きな愛で包み込むように話されていた日本語。
何十年と話し続けてきた日本語・・・。
なのに、突然、聞いて理解することも話すこともできなくなってしまった・・・・。
すぐさま別のイタリア人の神父様が駆け付けお話をされたようですが、他の認知機能が低下したわけではなく、ただただ日本語だけをすっかり忘れ去ってしまっていると・・・・。
とにかくショックでした。
実は日本での生活がストレスだったのか・・・。
日本語は好きではなかったのか・・・。
もし、そうだとして、それでもあれほどの笑顔で、辛抱強さで、やさしさで大きな愛で包み込んでいてくれた。
いや、日本とか、イタリアとか関係なかったと思う。
とにかく目の前の人、頼ってくる人、困っている人、悲しんでいる人、小さな人、動物に至るまで・・・。
人種・言語関係なく一つの大事な命として接し続けていた人。
ご本人のショックはどれほどかと・・・。
どれほど寂しさを感じているのだろう・・・・。
毎日毎日、周りの日本人に日本語で話しかけて勇気づけ、笑顔にさせていたのに・・・。
どれほどの孤独を感じているのだろう・・。
故郷から遠く離れた地で、故郷の言葉だけ・・・。
言語習得機能とはなんだろう。
何十年も話し続けてきて、忘れてしまう。
その間、ほとんどはなさなった故郷の言葉、それだけは残った。
病室の窓からはどんな風景が見えていたのだろう・・・。
今は言葉の壁のない天の国で、人種の壁もなく、きっといつも愛おしんでいた小動物たちとも楽しく会話してアコーディオンを弾きながら歌っているのかもしれない・・・。
今日みたいな青空を見るとそんな天の国を想像してしまう。