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Cafetalk Tutor's Column

Tutor Teiko 's Column

震災の日の記憶

Четверг, 11 Март 2021 r. 21:43

こんにちは、Teikoです。

あれからちょうど10年経つのですね。。

10年前の今日、私は、京王線の明大前駅で、地震に遭いました。
レッスンのために子どもたちの待つ教室へ向かう途中で、
ちょうど乗り換えのために、ホームの下の通路を歩いていました。
そのとき、ものすごい轟音がしたかと思ったら、地鳴りとともに大きな揺れが襲って、
私は他の人たちと一緒に、急いでホームへ駆けあがりました。
後で聞くと、震度5だったとか。

それから、しばらくの間、ドアの開いた車両の中の座席に座っていました。
うららかな昼下がりで、車両は空いていて、年配のご婦人がふたり、私の前に座っていました。
揺れは何度も襲って、その度に、線路を伝わって向こうの方から轟音が近づいてきては、車両が波の上の小舟みたいに揺れるのでした。
年配のご婦人方は、ふたりで、冗談を言いながら、「だいじょうぶよ」と笑っていました。

やがて、駅員さんから、「みなさんホームの外へ出てください。改札口から外へ出てください」
というアナウンスがあって、私たちはぞろぞろ改札の外へ出ました。
改札の外は、乗客の少ない午後だったとはいえ相当の人だかりで、
私は、いつになったら動き出すのかな、と思いながらしばらく待っていました。
その日、レッスンはお休みになり、電車も当面動きそうにないので、
私は自由が丘のうちまで帰る手段を考えなければなりませんでした。

その直後に目にした光景は一生忘れられません。。。

改札の前にあった食堂のテレビを、大勢が店の入り口からどよめきながら見ていました。
私も、地震のニュースをやっているのだろうと、後ろからのぞき込みました・・・

それは、津波の実況でした。
車が、家が、町が、流されていました。
東京からすぐそこの東北の町の海岸です。

これ、日本?

と、誰かが言ったような気がします。

それから、私は、近くの喫茶店に入って、コーヒーを飲みました。
喫茶店には数組のお客さんがいて、マスターと穏やかに話をしていました。
数人はマスターの知り合いのようで、お店の中にはテレビもなく、カップひとつ落ちなかったそうで、
ときどき来る揺れにも、みんな落ち着いていて、私も、とりあえず、コーヒーを飲み終えたら、歩いて帰ることを決めました。

通りかかるタクシーはどれも空車ではなく、バスはぎゅうぎゅう詰めで、地理に疎い私は、道路の案内標識を見上げながら、自由が丘の家から散歩して歩いたことのある駒沢公園を目指して歩くことにしました。

それは、なかなか遠い道のりでした・・・・。

結局、駒沢公園を通り、自宅に帰り着いたのは、3時間後くらいだったと思います。
今思い返しても、あの日のことは現実離れした記憶のように思われます。
その後に続いた余震、被災地のニュース、福島の事故など、今日のこの日までその傷跡は残っていて、まだまだ終わりは見えないような気がします。

被災したとき、うちへ帰れるのか、という防災の話もよく耳にします。
当時の生徒のお母さんの中にも、子どものために職場から5時間かけて歩いて戻った、という方もいました。
これからも、過去の経験から学びながら、防災対策をできるだけしていかなくてはいけないなぁ、と思います。

あの日被災されて亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。

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