こんにちは、エンパワー
今日も自分の中に小さな明かりを灯していますか?
氣功師の有岐です。
日本には八百万の神様がいると言われます。
何か絶対的なものを妄信して、自分たちを完全に導くのではなく、1人1人自立したものが「和」をもって調和する力がきっと私たちです。
相手を蹴落とすために暴言を吐いたり、力を誇示したりする方法を見ると
どこかで私たちは違和感を感じるのではないかと思ったりします。
それが、日本人独特の感性ではないでしょうか。
戦後、西洋の教育で洗脳されてきた【「他者の評価」による幸せ観が崩れ去る】
今日はこのテーマで書いていきますね。
ご自身の中と照らし合わせて読んでみて頂けると嬉しいです
昭和の時代から続いてきた日本の社会には、ひときわ強い「他者の評価」によって自己を測る文化が根付いています。
学校では成績で評価され、職場では成果を問われ、家族からも「期待に応えること」が暗黙のうちに求められてきました。
この「他者の評価に応える」ことこそが幸せや価値の基準だと思い込まされると、人は自己の存在価値を他人からの評価に依存するようになります。
こうした背景から、私たちの多くは「自分の幸せを他者に委ねる」生き方を、無意識に受け入れてしまっているのです。
無意識に刷り込まれた洗脳「自己重要感=誰かの期待の応える」
あなたは家庭や会社、学校で「もしかして相手はこれを期待しているのでは」と
先回りして相手の期待を察知して行動してませんか?
喜ばれている時は、自分では気づいていないのですが「期待に応えられた自分は役立った」と自己重要感が高まっています。
でも、そううまくいくばかりではなく、100人いれば100通りの期待があり、そのすべてに自分がカメレオンのようになっているとどんどん疲弊していきます。
もう頑張れない、そんな限界がきて体に不調が起きたり、心が頑張れなくなる時がありますよね。
もうそうなると、相手を失望させることが増えて、良かれと思ってやったことでさえ、相手から文句をつけられたりしてしまう・・・やるせない思い、理不尽さ、軽く扱われる気がする、そんな経験はないですか?
そんな時は、気づいてください。
もう相手の荷物を持たなくていいんです。
他者の期待に応えないのは、無責任で悪い事ではないのです。
実はここがあなたが【気づき】を得るステージに来たという事です。
あなたの命を懸けたこの人生、それは誰の物ですか?
他者の期待に応えられなければ、自分には価値がない、とか
応えられれば、自分には価値がある、そして
応える事で認められるのだ、それでは必ず限界がきて疲弊します
そして
他者の期待に応えられなくて、相手を失望させてしまった
応えられなかった、失望させたのは「自分が悪い」からだ
期待に応えられなかった、自分を責める
自分が作ったドラマで自分で苦しんでいる事に気づく!
「もう人の為に生きない!」それを選択する
相手を失望させてしまうのがつらいと感じて
「次こそは!」と無言のプレッシャーを感じてとても体に力が入り、疲弊してしまうのです。
もう膨大なエネルギーを毎日知らずに駄々洩れに使っているのです。
すぐに疲れてしまって当然なんです。
他者が私たちに抱く期待は、
相手の思考が勝手に作ったドラマです。
例えば、家族が望む「成功してほしい」という期待は、愛情に基づいたものであるかもしれませんが、本人にとって重荷になることもあります。
私の例ですが、かつては「いい子」「成績のいい子」「周りの評判がいい子」というレッテルを、親が私に期待していると思い込んでいました。親が何も言わなくても、がっかりした顔をしたりすると子供は敏感に忖度してしまうのです。「その期待に応える事=愛してもらえる」と勝手な妄想を錯覚していたのです。
「良かったね、頑張ったね」と言われるまで、次こそは応えられる自分でいようと思ったものでした。
その思い癖が大人になっても「過度な自分への期待」となり、外側の評価に自分が重要だと感じる力を明け渡してしまっていたのでした。
期待に応えられなかった時の失望感と「リベンジしよう」とする意識
他者の期待に応えられなかったとき、人は「自分は価値がない」と感じ、強い失望感を抱きます。しかし、その失望を忘れるために「次こそは!」とリベンジを誓うこともあります。
これは、一度失望した経験から逃れるために、再び他者の期待に応えることで自分を再評価しようとする意識です。しかし、この「リベンジ」の意識は、しばしば私たちの心を縛り続け、他者の評価が自分の価値だと信じてしまうサイクルを強化してしまいます。
「他者の利得から来る期待」があります。
職場での「もっと働いてほしい」「結果を出してほしい」という期待は、往々にして組織の利益や上司の評価向上に繋がる期待であり、必ずしも私たちの幸せと一致しているわけではありません。
そう、相手の「利得」からあなたに「期待」を背負わせているのです。
「頑張っているね。期待してるよ」と言われた時、あなたの心は軽やかでしょうか?「君だからこそ、これを頼みたいんだ」と無理に仕事を押し付けられた時、どうですか?
自分が価値のある人間だと思いたい「自己重要感」が相手の期待に応える事で満たそうとすると、いつもいつも周りの人より多く仕事を引き受けてしまうのです。
それでも「これは自分だからできるんだ」「これをこなす事で自分は成長できるんだ」そう思っていても、心は重いはずです。
それは喜びから湧き出るエネルギーではないですよね。
そんな時は、「体の声」を聴くのです。
そこにあなたへの【尊重】はありますか?
ない期待なら、応えなくて大丈夫なのです。
自分の心を何よりも一番に大切にする。「断る事」を知ることも引き受けるのと同じように大切なんです。
「理想を押し付ける期待」もあります。
親が子に対して、自分が叶えられなかった夢を託すように、「こうなってほしい」という期待を押し付けることは珍しくありません。
他にも、結婚した女性はいきなり「妻、母親、嫁、女性、会社員」といった沢山の名札をその場その場で求められる事になります。
今までは「私」という個人であったのに、私ではなく「役」を求められますよね。
パートナーから「妻らしさの理想」を求められると、たとえそれが言葉で言われてなくても、その期待を裏切ってがっかりさせないようにしていないでしょうか?
こうした期待が押し寄せると、「他者の思い描く理想像」に自分を合わせなければならない、そういうプレッシャーに悩まされる事になってしまうんです。
そうなると、茹でカエルのようになります。
カエルは冷たい水で少しずつ温めると、温度に気づかないんです。
気が付く時は、もう。。。
そう、「自己価値が‟他人の目に映る姿”に支配される」状態になります。
あなたは存在する事、ただそれが重要なのを知っていますか?
何かをするとか、期待に応えるから重要なのではなく、あなたがいる、その「存在自体」が大切なんです。
道端の小さな花は、ただ咲いているだけです。
きれいだとか、可憐だとかは勝手に見る人間が妄想した価値観です。
花はただ存在するだけ、ですよね。
自己価値を他者に委ねると、どうしても「もっと価値ある自分にならなければならない」という自己否定のループに陥ってしまいますよね。
SNSやメディアを通じて理想像が次々と目に入る現代では、目に見えない多くの「他者」の視線が常に私たちに付きまとって、「もっと素晴らしい自分」「もっと価値のある存在」でなければならないというプレッシャーを感じる人も多いかもしれません。
「理想の自分」を目指すという一見前向きな姿勢も、実は自己否定の一環だったりするのです。
「今の自分では足りない」「まだ不完全だ」と感じるとき、私たちはその不安や渇望を埋めるために「理想」を追いかけ、どこか遠くの他者の期待に向かって生きることになってしまいます。
じゃあ、「どうやって生きていくのか」
大切なポイントです。
他人のために生きない、自己価値を他者に渡さないで
「他人の期待に応えなければ自分には価値がない」という信念は、私たちの自己価値を相手次第にさせてしまう、そんなとっても不安定なものです。
この思い込みから解放されるためには、
「他人のためではなく、自分のために生きる」という考えを受け入れる必要があります。
ここから、他者の期待から解放され、「ただ存在しているだけで十分だ」と感じるためのステップを詳しく解説しますね。
1. 期待に気づき、それが他者のものであると認識する
他人の期待に応えることが習慣化していると、その期待が自分自身の目標であるかのように思い込んでしまう事があります。
しかし、まず大切なのは、それが「他者の期待である」ことに気づくことです。
これを「課題の分離」と言います。
あなたは、他者の問題まで背負う必要はないのです。
他者の問題を背負って解決しようとすることで、実は他者がその問題から気づきを得て、成長するチャンスがなくなってしまうのです。
だから、無責任なのではないのです。
子供が親に「こうして欲しい」「ああしてほしい」、例えば「お金がないから、困っているから援助してほしい」と頼まれたら、どうしますか?
その課題、あなたの物ではないですよね。
あなたは困っていないはずです。
それは「子供自身の課題」。
正解はありませんが、困る事になってもそこで自分で考えて行動して、失敗してもそこから気づきを得る事は、自分が死んだ後でもきっと生きた力になるはずでしょう。
「これは誰のための期待なのか?」と問いかけてみましょう。
期待が他人のものであると気づくことができれば、その期待に応えなくても自己価値が失われないと感じられるようになります。
2. 理想像ではなく、今の自分を受け入れる
自己価値を他者に預けないためには、「今の自分を受け入れる」という意識が不可欠です。
「もっと良い自分」「もっと価値のある自分」になろうとすることは、一見するとポジティブに思えますが、実際には「今の自分は足りない」という自己否定を強化する原因になります。
今の自分が十分であると認めること。
今の自分で誰がダメだなんて言えるのですか?今の自分は、それ以上でもそれ以下でもなくて、「あるがまま」なんです。
それでしかないんです。
私が存在している事は、ただ無条件に植物や太陽、水、全てのものがエネルギーを与えてくれている、つまり「祝福」してくれているのです。
それは事実です。
太陽も水も人によって与える量は違いません。誰にでも同じです。
私たちは当たり前にそれらのエネルギーを享受して、当たり前のように生きているわけです。
私たちはエネルギーの循環の中で生きていて、その循環の中でしか生きられません。
他人の期待に応えなくても、あなた自身は「当たり前でなない存在」、道端の花なんです。
ただ生きているだけで、無条件に祝福されていて、幸せの光が1人1人の中に確実にあるのです。
3. 他者に「理想の自分」を押し付けられない生き方
人はしばしば他者に「理想の自分」を投影して、「こうなってほしい」「こうあるべきだ」という期待を押し付けます。
しかし、それは相手の理想であって、自分の理想ではありません。
他者の理想像に沿って生きようとするのではなく、自分の心の声に従い、自分の理想を築いていくことが大切です。
4. 自分の存在を祝福する感覚を持つ
繰り返しなんですが・・・これが一番大切なところで、最後に大切なのは、「自分がただ存在しているだけで十分だ」という感覚を持つことです。
他人の期待や理想の中で生きる必要はありません。
私たちは、誰かの期待に応えることで存在価値を証明するのではなく、ただここにいるだけで十分なのです????
自分の価値を認めることで、他者の評価や期待に振り回されない心の安定を手に入れる
ことができます。
社会と個人のつながりの中での本当の自己「魂」の成長
2025年に向け、私たちはより一層「他人のための幸せ」ではなく「自分自身の幸せ」を考える時代に突入しています。
「苦しみを乗り越えるからこそ成長する」という観念から脱却しましょう。
あなたの出す周波数を、「生きる充足感」の心から活力が湧き出るようなエネルギーを選択するのです。
「この苦しみをわかって欲しい」という、重く苦しい周波数に共鳴したものばかりを引き寄せていた今までの観念を「もう選択しない」と決めましょう。
私たち全ての源のエネルギーは、どこか上のかなたにあるのではなくて、あなたの意識の奥深くに源そのものがあります。
特別な人間があなたに能力の開発するなんてことは絶対にありえません。
根源のエネルギーと同じ光が自分の中にあって、それと一体であることを心で感じ、あなたが自分にその光を向ければいいだけなんです。
不思議な事に、そうしているとだんだんと外側の問題に反応する負の感情が小さくなってきます。
そして、自分は分離しているのではなくて、私はあなたと繋がっていて、全てと循環しているからこそ、あなたの幸せの波動は私に共鳴して、私も幸せを感じ、その反対も同じだ・・・その流れがわかりだすと、宇宙のエネルギーの法則通りにスムーズに人生が動き出すのを体感するでしょう。
どれは宇宙の法則。人間が付け焼刃で何かするのとは全く違う本物になります。
自分の中の明かり「自灯明」だけを大切にして、大元と繋がっていることは
「じっくりとした深い呼吸」で感じる事ができます。
本当に大切な事は、シンプルですぐにできることなんですよ。
近いうちにYouTubeで上げる予定です??
昔、親から言われた「よそはよそ、うちはうち」これですよ。
「私は私でいいんだ」自己価値の意識を持ち、日々の生活において心の安定を保つことで、私たちは真に幸せな生き方を、誰かからもらうのではなくて、自分に中にすでにあるときづくのです。
氣功レッスンでは、「氣」だけではなく、心の中の意識の浄化で「心が大丈夫だ」変わらない幸せを得る(それが覚醒なんです)を一緒に学んでいきます。
有岐の【氣功レッスン】
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