中学に入ってすぐのクラス会で、学級委員を決めることになった。
その場では、面倒ごとには関わらないぞと決めて、
ひたすら存在を消していたつもりだったが、
気づけば「学級委員長に推薦します!」という声が。
まったく予想外の展開で、内心は穏やかでいられなかった。
あたりを見回しても、どうやら皆同じ考えらしく、
全員が何か重要な役割を避けようとしているのが手に取るようにわかる。
なんとかして他の人に押し付けようと試みたが、
案の定その思惑は見抜かれ失敗。
ここでついに「これはもう避けられないな」と諦めがついた。
隣のクラスには、小学校時代から不動の学級委員長をやっていた人がいて、
今もその道を突き進んでいる。
しかし、その頼りの綱も他クラスでは役に立たず、
僕の「悠々自適サボりライフ」は秒で幕を下ろした。
こうして不本意ながら学級委員長となったのだが、
その後すぐに「学年委員長」という、さらに重たい役職があると知る。
そして、気づけば「それなら彼しかいない」という流れで、
僕はついに学年委員長へと就任させられた。
実は、学年委員長の仕事は僕の得意分野を大きく超えていた。
スピーチが苦手で、国語の先生に提出する原稿用紙はほぼ毎回修正される。
おかげで、1年間に30枚以上の原稿用紙を使うという
記録まで打ち立ててしまったのだった。
そんな経験を重ね、なんとか任期を務めたわけだが、
要所でやらかすのも僕らしいところ。
初心表明の場面では緊張して頭が真っ白になったり、
発表会でベルトを忘れたりと、肝心なところで失敗したことも数えきれない。
それでも気づけば3年間、
僕は学年委員長のポジションに就き続けることになり、
結局、中学校生活は学年委員長として過ぎ去っていった。
ただ、一つだけ救われたことがある。
それは「学年委員長は生徒会と掛け持ちできない」という校則だ。
これによって、さらに面倒な「生徒会」を避けることができた。
窓の外を眺めながら、
「ああ、面倒ごとからはギリギリのところで逃げられたんだな」
と感じるその瞬間が、僕の中学時代唯一の心の平穏だったように思う。