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Cafetalk Tutor's Column

Tutor Yuki.Kyoto 's Column

7番チャクラを使うには?○○が必要です!

Samstag, 24. August 2024, 23:35

こんにちは!
エンパワLabo、氣功師の有岐です。
 
 
7番チャクラ、それはインスピレーションを受け取る所。
登頂部から3cmほど後ろにあり、東洋では「百会」と言われる場所です。
 
 なぜかわからないけど「危険だ」とか「違う」と感じた事があるかと思います。
 
「7番チャクラを開いたら、霊力が付くのか?」
「人生が劇的に変化するのか?」
今回は

7番チャクラを本当に使いたい方必見!
の内容です
 
 


能力の全ては
「止観行」から始まる

「先を見通す能力」「自己の潜在能力」、これらを会得したいという思いから氣功を習われる生徒さんがほとんどです。
 それは、現実がうまくいかない、心の不安で精神が乱れるなど、「今の自分は変化が必要だ」という様々な思いです。
 
 止観とは、1つの対象に集中する事で、外界や乱れから遮断して心を静止させる (śamatha 〈止〉)、そしてその状態で自分「対象」を「これが正しいという判断」なしに観察する( vipaśyanā〈観〉)事です。
それを実際にするにはどっしりとした精神を作っていく事が必要となり、気量と気力が必要になります。
 
私のレッスンでは氣の発電元のチャクラを開発し、身体で氣を操る呼吸法を体得するのですが、毎回のレッスンが止観、瞑想になります。
 氣が腹部から頭の頭頂部まで一杯になると、意識は自然に瞑想の状態に落ちていきます。
 そして、段階による呼吸法だけに集中していると、5感が冴えて自然と体の様子を伺い、頭から雑念が消えていきます。
 
つまり、自分の状態、精神と肉体、そして自身の中だけでなく全体の良し悪しを冷静に観る事が可能になってきます。
 
 
瞑想の意識の制御にも技があります。
数分でこの状態になれるようになると、深い瞑想に入るのが容易くなり、いわゆる「空」の状態を作りやすくなるのです。
 
 
◆自分は何のために生きているのか?

きっと人生の中で1度はこう思った事があるのではないでしょうか?
 
 
 私達は選択の連続の中で生きていますが、大きな人生の岐路にある時、その道を進んだ方がよいのかわからない方が多いかと思います。
 
そういった時、人は「決断」ではなく「判断」をしがちです。
 
「決断力」とは、瞬時に出す力です。一方「判断」とは、あらゆることを頭で考えてリスクや経験値で結果を導く事です。
 
 
今までも書いてきた事ですが、人間は現状維持する事をしたがるDNAを持っています。
「何も自分からしない」事で無意識に行動の責任を取りたくない心理があります。
つまり、今も辛いけど、新たに行動する事で未来の不確かさにリスクが大きくなる事をより恐れるのです。
 
つまり、精査して「判断」したつもりでいるのです。
 
最も安全で変わらない道を選んで、予想通りの「不満」の中で「これでよかったんだ」と理由をさがして、言い訳をしながらその場所にいます。
 
 
決断と判断の違いはどこにあると思いますか?
 
それは「勇気」です。
 
自分の選択に責任を持つという。
 
 
人は生き方に不満があると自己の「魂」に
「これでいいのか?」と問いかけをします。
 理屈で「これでいいのだ」と思っていても、今回の人生は
「こういった経験をしたい!」と思っている魂は、納得しないのです。
 
 
すると胸の4番に「氣」が集まってきて、その鬱積している「氣」を出したいと思うから、「ハー」というため息が出るのです。
この度合いが超えると、裏にある「胃神経」に作用し胃痛や痙攣が起こります。
 
東洋医学の「中医」では「心は神志を主る」「心は神を蔵す」といわれます。
これは心に精神・意識・思考を主宰する、人間の精神活動を機能があるという事です。
 
 
つまり、自己の思いが発生する元は「魂」にあり、そこから出た思いが肉体「脳」に伝達し、体に現象として現れるのです。
 
 
魂と肉体とエンジンとブレーキによく例えられますが、魂がアクセル全開で踏んでいるのに、肉体がブレーキを踏みこんでいると、ブスブスと煙が出ているのが、胃が痛い状況です。
 
 
選択の岐路に立った時、失敗しない一番安全な道を選ぼうと、違う道を選ぼうと、必ず道には思いもよらないハプニングがあるものです。
どんな道でも落とし穴のない道はない、そんな覚悟から湧き出るのが勇気です。
 
 
自分を探しに外に行く必要はありません。
私達は日常で何を食べるのか、そのタオルを使うのか、選択の連続です。
 
「魂」に問い合わせをする、自問自答を繰り返していく「止観行」の中にその答えがあるのです。
 
 
 
◆ウパニシャッドにおける魂の構造

古代インドでは王族の下にある「バラモン」階級が民衆を導く立場でした。
 
その教えの聖典の中の「奥義書」と呼ばれるものがウパニシャッドです。
 
ウパニシャッドとは「近くに座る」を意味し、師の近くに座る弟子たちが口伝で伝えられた「秘儀」がまとめられた物です。
その中では、人間の「思いの発生源」はどこから来るのかが記載されています。
 
「梵我一如」という言葉を聞いたことがありますか?
 
「梵=ブラフマン」とは宇宙の根源であり、人間の本質「我=アートマン」は、その要素の一部である、つまり、宇宙の根源のエネルギーの1滴ずつが人間の体に入っているという思想です。
 
全ての存在は「梵」の一部であり、その中で「業カルマ」というシステマティックな構造の中で輪廻転生を繰り返しながら、より向上し解脱するという、東洋の思想です。
 
 
 霊魂、魂全体の表現は「アートマン、プラーナ」と表現されますが、この「プラーナ」自体、精神よりは「氣」を直接意味する言葉です。
 古代インド、仏教より以前に、魂は「氣」、つまり魂の湯気が氣だとその同一性が説かれていた訳です。
 
 
 オリンピックやスポーツ、競技を見るとなぜ人は熱狂し、感動するのでしょうか?
 人間が何かに本気で一心に取り組んでいる時、その魂は情熱と熱意で燃えています。
 その炎が発する湯気「氣」は大量に放出されるのです。
 そして、それにはすごい力があり、周りの人に影響を与えて氣を同調させていきます。
 
 
 
氣は水が「高い方から低い方に必ず流れる」のと同じで、「強い方から弱い方」に必ず流れ込んでいきます。
 「陰の氣」の影響も同じです。
 
 

                     
 
人が何かに一心に打ち込んでいる時は、あれやこれや判断を時間をかけてしていないものです。
 そう、直観、インスピレーションの7番のアンテナをしっかり立てています。
 7番チャクラの電波塔からは、4番からのエネルギーの波動が出る訳です。
 
首から下をまず整える事が7番を使う基礎になります。
 それには「なぜ生きているのか?」魂に問いかけを常にしている事です。
 
 
 「瞑想」とはただ意識を落とすだけではないんです。
 「変性意識を体得する瞑想」は、体に直接アプローチし、精神の安定や冷静さを養います。
 「内観瞑想」は自己の中にある「結び目の塊」を一つ一つほどいて、自己解体、分析をしていく事です。
 だんだん「周りから見た自分」ではなく、「本来の自分」がわかり、自分の特性を生かした行動を模索するようになります。
 
その時、魂に「ボッ」と炎が付いて7番の頭頂部に上っていくのです。
 
 
 
ではまた次回!
 
氣功師の有岐でした??
 
 
 
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