私の元には「ごちゃごちゃしてしまった」人生を解こうとする人達が来ます。
本を読んだり良い話を聞いたり、でもその話に納得できなかったりやってみたけどうまくいかなかったり、結果ごちゃごちゃが解けなかった。
本や格言や有名人の言葉、友人達の励ましなど、背中を押してくれたり気持ちを高めたり保てたり自身を鼓舞できることはあるでしょう。
しかし、自分の人生を解すには自分自身へ向かうしかありません。
それは他人の経験は自分の経験ではないからです。
栄養になることはあっても芯に迫るには自分の言葉を探るしかありません。
それには心を落ち着け内側をクリアにしながら見つめていくことです。
私はある程度の場所に立った時、ブッダの言葉を読んでみました。
初めて読んだそれらは「ああ、そう、そうなんだよね!これすごくわかる!」と、わかることにびっくりしたりやはりそうだよねと納得したり深いところで理解できるので当初は「読める」ということにはしゃいだものです。
ブッダも悩みからスタートしています。
自分自身の苦悩にひたすら向き合い、後々その姿を見た周りの者達が「どうしたらそうなれるのか」と教えをこい、結果仏教などに変わっていくのですが、これはブッダの目的ではありません。
ひたすら己に向き合い、向き合い続けた結果のことですので、それはブッダの経験です。
これを「素晴らしいことだ」と自分に当てはめるのは無理が生じます。
余談ですが、ですので他人の経験を語っている人にはその人自身の根拠がなく薄いですよね。
哲学者や心理学者が「こういっていた」と堂々と人の言葉をまるで自分の言葉のように発表している人がいますが、ではその真意はどうかということまで到達していないはずです。
そして、人は一人一人今生の学びが違いますので、同じところに乗っかって皆全てOKとなる”はず”がないのです。
一人一人の真実(自分軸、安心できる場所ともいえるでしょう)は一人一人違います。
同じ映画をみて「あそこ面白かったね!」と言って同意したとしても、全く同じであることはなく、またそれでいいのです。
自分自身を立て直す為にもレッスンを行いますが、それには先ず自身の選択が必要になります。
✴︎写真は先月の夜空です