「能面」の内側にいる役者の世界は、まるで狭くて暗いロッカーの中。小さな2つの穴からは、およそ鶏の卵ぐらいのエリアが遠くに見えるだけで、手元は全く見えません。
不用意に歩くとよろけるので、腰を入れて「すり足」で進みます。
「無表情の形容詞に使われる能面」ですが、実は繊細で、ミリ単位の角度と動かし方で、全く違う表情となりますので、取り扱いには細心の注意が求められます。
腹式呼吸からの発声でないと、声は、面の内側にこもってしまい美しく聞えません。
歩く歩数や角度は細かく決められていますが、視界を封じられた役者には、舞台の4隅にある柱こそが生命線で、これを基準に方向と距離を見定めます。これを見失った時、はるか下の客席に落ちます。
能面をつけている役者の視線よりも、能面の視線はずっと下なので、演技上、手に取る床の小道具を実際に見ることはありません。
当然のことながら、自由に振り回す薙刀も、能面の内側からは全く見えません。
それなのに稽古では能面を使いません。何故だと思いますか?
それは、来るべき本番のために、目ではなく、体に全てを覚えこませるためなのです。
「能」って、なんとまあストイックな芸能だと思いませんか?
(クニオ)