さて、今日はちょっと漢字について。
漢文で一番最初に習う出典として『論語』があります。その一節でこういう文があります。
「学而時習之。不亦説乎。」
→学びて時に之を習ふ。亦説(よろこ)ばしからずや。
(習ったことを機会があるごとに復習し身につけていくことは、
なんと喜ばしいことではないか。)
通常の授業では、まあ、返り点どおりに書き下し文にして、訳を見て、「ふーん、わかった」でいいのですが、ひとつ疑問が湧きませんか。
「説」がなんで「よろこばしい」なのか・・・?
高校の時、古典の先生がもしかしたら説明してくれたのかも知れませんが、残念ながら覚えてません。。。
これは辞書の力を借りてみよう。ということで調べてみると、右側の「つくり」の方に秘密がありました。
右側の「八」「兄」は、神に祈りを捧げている図らしいです。「兄」が祈っている人。その上にある「八」は「神から願いが聞き入れられたという知らせ」を意味しているらしいんです。「天の声」というわけですね。
願いが聞き入れられた情景だから、「よろこばしい」という意味が込められているということなんですね。
ということは、「説」には「悦」と同じ意味が込められている、ということです。
ちなみに「言」の方は、こちらも神に祈る行為がもととなっているといわれています。
ウソついたら入れ墨の刑ですよ。そんだけ責任が伴う行為なんですね・・・
SNS上での発「言」は慎重に行いましょう!
・・・
今回はこの疑問について、僕の中で聖典化している「常用字解」の力を借りて調べてみました。たのしいですよ〜〜!
ちなみにこの常用字解、英訳もされているんです。
白川先生のもとで習ったドイツの研究者が3年かけて翻訳したらしいです。
それがこれ。
今年のラグビーワールドカップを一緒に観戦したスコットランド人の知人にプレゼントしました(^^)