1ヶ月前の9月5日、十三の第七藝術劇場にて「きらめく拍手の音」の映画を観ました。
両親はろう者、こどもは聴者。これをCODAという。
CODAの人は小学のときでも両親に通訳してあげる。病院とか銀行とかに電話するとき通訳したようで、難しい言葉があっても通訳。
聴こえる世界、聴こえない世界。
この2つの世界の間に生きてきた。
社会に入ると、聴者、音、声がある。
家に帰ると、声以外の音は無音。
両親と子どもたちと話すときは、手話。
電話するときは子どもにお願いして通訳してくれる。
両親は子どもに頼りすぎるのか分かりませんが、早く自立させたい気持ちが大きかったようです。
コーダをもつ人が何人かいていますが、不真面目な人は懸命に手話を覚えない人もいれば覚える人もいる。
今回映画をみて、撮影をした人は両親の娘で、映画作るのが好きみたいで、ろう者は手話で話すものなので、表情や行動、手話、口など細かいシーンを撮影していることを気付いて上手だな。と思いました。
コーダを持つ人は、コンプレックスがあるようです。
例えば、私もそうですが、日本語力が足りない。
声がうまく話せない。電話するのが苦手。などなどのコンプレックスがあるのですが、手話だけは誇りを持っているようです。
私から見ると、ろう者?と間違うくらいに、ネイティブの手話。
ろう文化、ろう世界、、、、久しぶりに思い浮かんで、こんな人がいたね。ろう者のアイデンティティをもって生きる人がたくさんおられる。
この映画をみて、感じたことや学んだことがたくさんあって、有益な内容でした。
ありがとうございます。