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Cafetalk Tutor's Column

Tutor Keisuke.H 's Column

I was a bocchi.⑪取れない補助輪

Суббота, 30 Март 2024 r. 19:02

私は三輪車で遊んだ記憶がない。
家にあったのかも覚えていない。
補助輪付き自転車で遊んだ記憶なら沢山ある。
それは鮮やかな黄色の子供用自転車だった。
 
私は駄々をこねたり、泣き叫んだりはしなかったと思う。
おとなしい性格であまり自己主張しなかった。
駄々をこねたところで無駄なのを知っていた。
貧乏だったからか、厳しかったからか。
少なくとも欲しいものがすぐ手に入る環境ではなかった。
そんな中、黄色の自転車は新品だった。
欲しいと言った記憶はないが、買ってもらえたのだろう。
 
団地には半分くらい自転車を持っている子どもがいた。
私は自転車を持っていたが、友達と出掛けることはなかった。
当時の最先端の遊びを繰り返していた。
それは自転車を汚すので母は良い顔をしなかった。
 
家の前の歩道には一箇所だけ窪みがあり、
雨が降ると水溜りができた。
そこに自転車の後輪を設置してペダルを漕ぐと、
水がブワッと舞い上がるのだ。
これは補助輪付き自転車でしかできなかった。
雨上がりの日は近所の子どもが集まった。
 
補助輪を取るまでにはかなりの時間が掛かった。
補助輪を外した自転車には安定感がない。
公園で父に押されながら乗る練習を繰り返した。
「もう手を離しても大丈夫だろう」
と言われても一人で運転する勇気がなかった。
 
ある日、父は走行中に自転車から手を離した。
私は漕ぎ続けたから後ろは見えない。
走り終わった後にそのことに気が付いた。
ようやく一人で自転車に乗ることができたが、
それよりも父への不信感のほうが大きかった。

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