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Cafetalk Tutor's Column

Tutor Naoko.S 's Column

練習の目的を考えよう:生徒がスマホを見ると言う前に

Четверг, 21 Март 2024 r. 00:00

 先日、日本語を教えている先生がこんなことをおっしゃっていました。

 

 授業で文型作文をさせようと思っても、スマホで例文を調べて答えてしまうんですよ。

スマホを取り上げるしかないですかね。

 

このコラムを読んでくださっている皆さんはどう思われますか。

 

何のための練習か伝わってないんじゃないですか。

そもそも文型作文が必要なんですか。

 

私はそう思ってしまいました。

 

 日本語学校などでは、初級の文法がひととおり終わり中級以上のレベルになると、「~を限りに」「~をよそに」「~かたわら」「~と思いきや」などなど、決まった形式で特定の意味を表す、いわゆる表現文型を教えることが多くなります。そのような表現文型を教える際、例文を示して意味を説明した後、学習者自身に例文を作らせる練習をさせることがあります。それを「文型作文」と呼び、私が勤務している大学ではなぜかこの「文型作文」を非常に重視している先生が多いです。

 

 たとえば、『新完全マスター文法日本語能力試験N1』に掲載されている「~を限りに」を例に示すと、次のような例文を示して、「~を限りに」の説明を行っています(p.13)

 

(1)  本年度を限りにこの講座の受講生募集を行わないことになりました。

(2)  今日を限りにたばこをやめるぞ!

(3)  これを限りにお前とは親子の縁を切る。以後、親でもなく子でもない。

 

意味:~の時までで、それまで続いてきたことを終わりにする、と宣言する

 

 一般的に日本語教育では教師が説明しただけで終わったら、学習者の身に付かないから学習者にたくさん練習をさせて定着させなければならないと考えます。オーディオリンガルメソッドと言われる外国語教授法が日本で日本語語教育が行われ始めた初期の段階で広く普及したことが影響していると思われます。反復練習を繰り返し、習慣形成を促すことで外国語を習得できるという考えが多くの日本語教師に受け入れられています。そこで、練習をさせようと思うわけですが、上の「~を限りに」の練習としてどのようなものが考えられるかというと、まずは以下の3つが考えられます(問題は筆者の自作です)。

 

1)            を限りに             

 

2)私は今日を限りに                    

 

3)この制度は今年度を限りに(      )ことになっている。

    a.変更される    b.改善される    c.廃止される

 

4)駅前のスーパーは、今月(      )閉店するらしい。

    a.までに      b.に限って     d.を限りに

 

 1)と2)のような空いているところに適した文を入れる練習を「文型作文」(あるいは「穴埋め作文」とも)言われます。3)は選択肢を与えて(   )内に入れるのに最も適したものを選ぶ問題で、実際の日本語能力試験ではこのような形式で出題されます。

 

 学習者の立場で考えると、どの練習がいちばん取り組みやすいですか。もちろん3)や4)のような練習ですよね。では、日本語教師にとって最も準備の手間が楽なのはどれですか。1)ですよね。1)はほぼ準備なしでその場でさせることができます。

準備の手間が楽であることが悪いと言いたいわけではありません。学習者がこの文型を学ぶ目的を考えれば、反復すべき練習は1)や2)のような文を作る練習ではなく、3)や4)のような選択問題です。なぜなら日本語能力試験の出題形式はすべて選択式であり、日本語能力試験に合格するという目的に焦点を当てるなら、当然選択問題を多く解く練習をしたほうが効果的だと考えられるからです。

 文型作文をさせる教師にも目的はあります。「せっかく表現文型を勉強したのだから、ただ試験に合格するだけでなく、日常的に使えるようになってほしい。そして、日本語の表現力を増やしてほしい」そう考えて、この文型が使われる場面を思い浮かべて、例文を作る作業をさせようとするのです。しかし、多くの場合、学習者のニーズに合致していません。

 まず、学習者の日本語レベルに合致しません。日本語能力試験N1の合格を目指しているということは、当然ながら現時点ではN1で出題されるような表現文型を使えるレベルにはありません。また、N1レベルの語彙力がなく、会話や作文などの日本語をアウトプットする力も限定的です。そのようなレベルの学習者が今習ったばかりの文型を短い時間に適切に使えるようになるとは考えられません。

 また、適切な語彙選択、文体選択は文型の理解とは別物であり、文型の意味を説明されても、適切な文を生み出せるわけではありません。たとえば、「~を限りに」を使って、「今日を限りに朝パンを食べるのをやめます」という作文をしたら、どうでしょうか。正解ですか。「そんなこと高らかに宣言するようなことかな。いつ使うのかよくわからないけど、文法的には正しいから正解なのかな」このように思いますよね。また、「今日でやめる」と言えばいいのに「今日を限りに」を使わなければ何か困ることがあるのかなと学習者は疑問に思うかもしれません。

つまり、ある表現文型を使いこなせるということは、その表現文型が典型的に使われる場面を学習者が特定でき、それ以外の表現では代替できないような「ドンピシャ」の使い方を見つけられなければならないのです。1回の授業で5つも6つも表現文型を教えなければならないとしたら、現実問題として一つ一つの文型を適切に使えるようになるまで十分な時間をとれません。

 

 文型作文練習の意義を否定するわけではないですが、学習者に何らかの練習や活動をさせる際には、その学習者の目的とレディネスに合わせてするべきだし、そうしなければ学習効果は期待できないと思います。

 学習者がスマホで例文を調べるから意味がないのではなく、その練習自体に意味があるかどうか教師自身が自問する必要がありそうです。

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