日本語学習者が「探す」という動詞を使う時、しばしば誤解を生む使い方をしてしまうことがあります。次の先生と学生の会話を見てください。
学生:あ、先生、教科書、探しません。
先生:え?教科書がないんですか。かばんの中を探してください。
学生:あ、探しました。大丈夫です。
先生:え?あったの?
最初の「教科書、探しません」は、「教科書が見つかりません」と言いたかったのですが、「見つかる」の代わりに「探す」という動詞を使っているので意味が伝わりにくくなっています。そして、次の「あ、探しました」は「見つかりました」あるいは「見つけました」と言いたい場面ですが、この学生は「探す」という動詞を使って表そうとしています。
日本語母語話者からすると、「探す」と「見つける/見つかる」をなぜ使い間違えるのか、理解できないでしょう。日本語の「探す」は目的の物を見つけようとして努力する意味を表す動詞で、探した結果として目的の物を見つけるところまでは意味に含みません。一方、「見つける/見つかる」は目的の物を手にするところまでを意味に含みます。したがって、日本語で「探しません」と言ってしまうと、見つけるための努力をしないという意味になり、目的のものが見つからないという意味にはなりません。
実は中国語では「找不到书(本が見つからない)」のように表現し、「找(探す)」という動詞を含んだ表現を使います。「找不到(探して至らない)」という表現で「見つからない」という意味を表すのです。このことから、中国語話者の頭の中では「探す」と「見つかる」がつながって認識されているのでしょう。
中国語母語話者だけの問題ではなく、日本人が英語を学んだり、他の外国語を学んだりする際にも、ある動詞が結果まで含んだ意味を表すのか、結果を含まないのかは、動詞を習得する上で常に問題となります。
〇息子を起こしたけど、起きなかった。(日本語の「起こす」は結果を含まない)
×I woke the child, but he didn’t wake.(英語の“wake”は結果を含む)
日本語には「起こしたけど、起きなかった」「燃やしたけど、燃えなかった」のように、行為をしたが、結果として変化が起きなかったことを表す表現がありますが、このような表現をそのまま英語に訳すと間違いになるそうです(池上嘉彦という研究者が発見した有名な日英語の違いです。詳しくは参考文献をご覧ください。)日本語の動詞は結果を含まないのに、英語や他の言語では結果を含む、あるいはその反対に日本語では結果を含むが他の言語では結果を含まない、ということがあるようです。外国語で動詞の意味を学ぶ際には、行為と対象の変化、そして変化の後の状態など、どの部分が言語化された動詞なのか、注意する必要があります。
<参考文献>
池上嘉彦(1981)『「する」 と「なる」の言語学』大修館書店