まず、冒頭のイラストを見てください。左側のイラストは、お父さんが赤ちゃんにおもしろい顔をして見せて赤ちゃんが笑ったという場面です。この場面を日本語で表すと「お父さんが赤ちゃんを笑わせた」という使役文になります。一方で右側は、ある男の子が学校の廊下でころんで、それを見た友だちが笑ったという場面です。この場面を日本語で表すと「男の子が友だちに笑われた」という受身文になるでしょう。このような使役文と受身文の違いは、日本語母語話者にとっては大きな違いですが、日本語学習者にとってはこの両者がよく似ていて、区別ができない時があります。
たとえば、中国語を母語とする日本語学習者の作文において、(1)のように使役文を使うべきところで受身文を使ってしまう誤用が起きることが指摘されています。
(1)夏休みは学生たちが人間性を養って、生活を充実される(→させる)のに欠かせない時期となっている。
(望月2009、p.97(16b)一部改変)
このような間違いは、もちろん動詞の形が難しいことも原因の一つだと思います。動詞の形が「(さ)せる」になれば使役形、「(ら)れる」になれば受身形になり、「られ」と「させ」を間違って使ってしまったという可能性もあります。しかし、そもそも中国語の使役構文が日本語の受身文と使役文の両方に対応する場合もあり、中国語を母語とする人にとって日本語の使役文が理解しにくいという原因もありそうです。中国語では“叫”という介詞を使って使役文を形成しますが、(2)のように日本語では受身文にも使役文にも訳せる場合があるそうです。
(2) 我叫他打了。(私は彼になぐられた/私は彼になぐらせた)。
(小林1986、p.124)
冒頭で示した使役文と受身文をもう一度考えてみましょう。もし(3)の「笑わせた」という使役文を「赤ちゃんに笑われた」と受身文に変えてみたらどうでしょうか。「♯」は「この文脈では使われない」ということを表す記号です。もし「笑われた」と受身文を使ったら、お父さんが意図的に笑わせようとしたという意味がなくなるでしょう。では、(4)の「笑われた」という受身文を「友だちを笑わせた」という使役文に変えたらどうでしょうか。男の子は友だちを笑わせるためにわざとこけたのだろうという解釈になります。
(3) お父さんがおもしろい顔をして、赤ちゃんを笑わせた(→♯赤ちゃんに笑われた)。
(4) 男の子が廊下でこけて、友だちに笑われた(→♯友だちをわらわせた)。
では、次の文で下線部に入れる表現はA使役形「とらせない」、B受身形「とられない」のどちらが良いと思いますか。そして、それはなぜでしょうか。
(5)自転車の前のかごからかばんを ように、カバーを使ったほうがいいです。
{A.とらせない / B.とられない}
どうでしょうか。日本語母語話者の方でももしかすると、「どちらでもいいのでは?」と迷われる方もいらっしゃるかもしれません。犯罪を未然に防ぐべきだという文脈なら「とらせないように」という使役文が使われやすく、被害にあいたくないという文脈なら「とられないように」という受身文が使われます。使役文と受身文はぜんぜん違う意味を表す文型のように見えますが、実は意図性という意味を間に挟んで意味が近くなる場合があるのです。
<参考文献>
小林立(1986)「中国語における使役と受身の表現について」『香川大学一般教育研究』第30巻、 pp.121-130.
望月圭子(2009)「中国語を母語とする上級日本語学習者によるヴォイスの誤用分析―中国語との対照から―」『東京外国語大学論集』第78号、pp.85-105.