※「京都徒然(つれづれ)」は、わたしが京都にいるときに見たこと、感じたことをお伝えするコラムです。
( 徒然(つれづれ)…何もすることがなくぼんやりしていること)
写真は、京都洛北(らくほく)にある円通寺(えんつうじ)というお寺の庭です。
有名なお寺ではありませんが、
比叡山(ひえいざん)が庭の一部のように見えるすばらしい庭です。
(借景庭園(しゃっけいていえん)という、
遠くの山や景色が庭の一部であるかのように作られた庭です。)
私は、大学時代、このお寺の近くに住んでいました。
今でも、気持ちを静かにしたいときはこの庭へ行きます。
交通があまり便利ではないので、
いつも人は少なく、
私はこの庭が見える座敷(ざしき)に座って
比叡山(ひえいざん)を見ています。
いつも思い出すのは、
学生時代のことです。
喫茶店(きっさてん)もない場所なので
よくこのお寺で本を読んでいました。
まだ自分が何者(なにもの)なのかわからない20歳前後の私は
比叡山(ひえいざん)を見ながら、
一体(いったい)自分は何者(なにもの)になるんだろうと考えていました。
その後私が何者(なにもの)かになったのかどうかわかりませんが、
将来(しょうらい)の自分をぼんやりと思い描(えが)きながら
その自分と対話(たいわ)していたのだと思います。
京都の庭には、
遠い時代、遠いところに気持ちを運んでくれる庭と
今の自分の心の中を見つめさせてくれる庭があると思っていますが、
円通寺(えんつうじ)の庭は、
遠くに気持ちを運んでくれる庭です。
(時間と空間を超える庭と言ってもいいかもしれません。
タイムマシンみたい(笑)。)
20歳の頃の私が、
この庭で未来(みらい)の自分と対話(たいわ)していたように、
今の私は、この庭で若い時の自分と対話(たいわ)しています。
この50年間、変わらずこの庭を残している京都という街は
すばらしい街だと思いました。
「日本に京都があってよかった。」
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KOBA
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