今までで一番怖かったというかスリリングな体験は「シャチのキス」だろう。ある水族館で10年くらい前まで行われていたイベントだ。その日、私と友人たちは水族館をできる限り満喫することに決めていた。台湾からのお客さんもいたので、特にいつも以上に楽しいことをしてもらおうと思っていたのだ。それで、いくつかのオプションチケットを買うことにした。ただ、それらは人気なので私たちが実際に買えたチケットは「ベルーガの頭をなでる」と「シャチのキス」の二枚だった。ベルーガの頭(おでこの部分)はほぼ脂肪でできているというだけあって、ふかふかでメロンパンのようだった。何よりあの愛らしいベルーガに触ることができて私たちは大喜びだった。
そして、「シャチのキス」。お客さんはプールサイドに立ち、顔をななめに傾けて、トレーナーさんに呼ばれたシャチが水から立ち上がって(?)頬にキスをしてくれる(正確にはシャチが舌を人間の頬に一瞬つけてくれる)のを待つのだが、なにせ怖い。シャチのキスの前にショーを見たけれどまあものすごい迫力なのだ。あの巨体でジャンプするのだから水しぶきも派手に上がる。そして訓練されているとはいえ、野生ではアザラシやペンギンも食べてしまう、そして今でこそ「オルカ」といわれているけれど「キラーホエール」という物騒な名前を持つ巨大な哺乳類である。とにかく身体がでかい、口もでかい、歯もでかい、そんな生き物が口を開けて顔のそばに来る!!いやー、「シャチのキス」じゃなくて「笑うアシカとの記念撮影」のほうがよかったかなとひよりつつ列に並ぶ。でもこんなチャンスめったにない。ぜったい、ぜったい、キスをされるときは目をつぶらないぞ!と思っていたのに、いざ自分の番になるとしっかり目を閉じてしまった。それは一瞬だった。一瞬すぎて頬の感覚などはあまり覚えていない。とにかく自分の何倍もある生き物に触れられた、という感覚。友人がその瞬間の写真を撮ってくれたのだけれど私はひどくへっぴり腰で目はぎゅっとつむられ、非常に情けない写りだった。
動物たちは人間に飼いならされていれば通常の状況では安全だし、人間のことを信頼している。でも、野生の動物に関してはそうではない。ヘビでもカラスでもイノシシでもサルでもシカでも、私たちはうまく対処できない。シャチほど大きくないとはいえ、だ。さらに犬や猫という人に懐きやすい動物でも野良の期間が長かったり、警戒心が強かったりするとすぐに人をかんだりひっかいたりする。だから私は何年経っても信じられないのだ。飼い猫が私の真横でお腹を上にひっくり返って無防備に眠っているということが。動物は人間を怖がるし、人間を怖がる動物を私たちは怖がるからだ。
シャチにキスをされたとき思わず目をつむってしまったことを後悔しているのは、人間を信用している動物を信用しきれなかった自分へのうしろめたさがあるからかもしれない。