よく聞かれるので自分について書いてみることにしました。
いや、自分でもなぜ?と思っています。なぜ?
結論から言うと、ときめくから、です。
ロシア人なんだから、ロシア語を教えるべきじゃ?とか、日本に30年近く住んでいるんだから、せめて日本語を教えるべきじゃ?とか思われそうですが、そこまでときめかないんです。
ちろんいずれの言語も話すのは好きなんです!だから、フリートークのレッスンはあって、皆さんとお話したいです!
でも、教えるってなると少し違う気がするんです。
そもそもロシア語は母国語としていつの間にか覚えたので、体系的に学んだ記憶がありません。発音はばっちりだし普通に話せますが、理論を聞かれても??そういうものだから、です(^^;;
ソ連はすべてタダだったからか幼稚園から習い事の嵐で、幼稚園児なのに本も上手に読んでいたし九九も知っていました。英語も習っていました。
ちなみに日本に移住してからは何一つやらせてもらえませんでした。お金かかるからですって。ケチ。
日本語はというと、6歳の時に親の仕事の都合で急に日本に引っ越すことになったんです。
それまで、外国といえばなぜかイギリスしか知らなくて、日本はおろかアメリカさえ知りませんでした。冷戦の名残り?
それが、急に1週間後に日本に行くよって言われて、連れてこられました。
当然言葉はさっぱりわからない。日本に来る前に唯一教えてもらったのはトイレが和式だってこと。あと1円玉を一枚母の出張のお土産にもらったのですが、日本に行く時に使うからと没収されました。
確かに当時の小学校のトイレは全部和式でカルチャーショックでしたよ。
そんなわけで、1993年4月6日に言葉の通じない国に上陸。その日は小学校の入学式でしたが、私は二日後から登校しました。普通の日本の小学校に。カトリック系の私立の小学校だったので、英語を話せるシスターが数人いましたが、周りも皆日本人、授業ももちろん日本語。1年生はあいうえおからだったので、運が良かったです。そこから先はあまり記憶がないのですが、3ヶ月後にはかなり日本語を流暢に話していたようです。
悪い言葉から先に覚えたような気もしますが。
3年生の漢字テストで満点を取って、先生に「漢字博士」ってちやほやされていい気になって漢字が大好きになって、中二で漢検2級を取るまで頑張りました。そこから先は難しくて断念してしましましたが。
そんなわけで、小学校から大学院まで日本人と同じように入試を受けて同じように卒業しました。
ここまで話しておいて韓国語がさっぱり出てきませんね(;'∀')
韓国語との出会いはまた次回に。
この不思議な境遇の「見た目はロシア人、中身は日本人」に興味を持たれた方はぜひ、フリートークでも^^