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Cafetalk Tutor's Column

Rie_Takayama 讲师的专栏

言語を学ぶ(教える)楽しさと難しさ

2015年10月24日

今回カフェトークさんでは初めて、語学についてのコラムを書いてみようと思います。

私は言語自体は教えていませんが、語学学習についてのワンポイントアドバイスをヨガや生き方アドバイスとともに行っています。私にとって外国語を学ぶということは、「その言葉の成り立ちも含めた、その言葉を話す国の文化と精神性を学ぶ」ということに最終的には繋がると考えていて、言葉が話せるようになること自体もそうですが、そこから開けてくる新しい世界、新しい自分が見たくて学ぶのが楽しい、というのがあります。

但し、英語については少し様子が異なってきているな、というのも感じるところです。言葉の成り立ちを含めた文化や精神性を学ぶ以前に、ではいったい英語はどこの国の言葉なのか?!どこの国の文化や精神性を理解すればよいのか?と迷ってしまうほど英語を公用語とする国は複数言語が公用語の国を含め80か国に及ぶと言われています。代表的なところでイギリス英語とアメリカ英語を例にとっても文化も精神面もかなり違うため、使う言葉や発音、言い回しも異なります。厳密には英語は英国、つまりイギリスの言葉ではあるのですが、それを今日の現代で言う人はイギリス人でもあまりもういないでしょう。それくらい、英語は世界の公用語として普及していますし、インターネットなどによるグローバル化のスピードが加速しているいま、さらにその必要性は高まっていくと言えると思います。

私は以前オーストラリアにワーキングホリデーで滞在していた頃、2か月間だけ語学学校に通いました。そのときに習った先生が英語教師として優秀なだけでなく人としてとても魅力的な方で、その先生の授業を受けるのがいつも楽しみでした。ある日、リスニングの訓練として街の人の言葉を録音したCDを聞かされました。話す人が5~6回ほど変わり、そのたびにアクセントや話し方が変化します。ひととおり聴いたあとで、先生は、どこの国の人が話しているか?を推測してもう一度聴くようにといい、最終的にはインド人、中国系のカナダ人、南米の人など地理的にも文化的にもまったく異なる国々の人たちの英語だということでした。正直、インド系の人の英語は私は今も聞き取りがとても苦手で、当時も何を言っているのかさっぱりわからなかったのを覚えています。

そんないろいろなアクセントで話す英語、つまり英語を母国語としない人が話す英語をなぜ聞かせるのだろう?と思ったのですが、先生がおっしゃったことで当時の私がとても驚いたことが、「聞き取りづらい人のもあったと思うが、実はネイティブの英語話者はこの人たちの言っていることをほとんど聞き取れるんだ」ということでした。覚えている範囲で先生の言ったことを回想すると、このCDに吹き込まれた人たちは、アクセントの訛りはもともとの母国語によってあるが、英語力としてはコミュニケーションをとるのに申し分がないレベルだとのこと。そして、これからは、このようにあらゆるアクセントや訛りのある英語を話す人たちがもっと増えていくだろうし、それを聞き取れるようでなくてはいけない。

「いいかい、発音とアクセントは違うんだよ。正しい発音さえ押さえていれば、アクセントは多少自分の母国語よりに訛っていても通じるんだ。」- 他の日本人の方たち同様英語にコンプレックスをもっていた当時の私にとって、とても衝撃的なことを言っている、と思ったのが記憶に残っています。そしてその後日本に帰国し、仕事を通じてアメリカ英語とオーストラリア英語だけでなく、それ以外の様々な国籍や文化的背景の人たちが話す英語に触れたことで、「英語を上手に話す」ということの意味が自分の中で変わったのも事実です。発音とアクセントの違いについては、その専門の先生方に説明をおまかせするとして(スミマセン)、要は、現在はまさにこの私が好きだった先生がおっしゃったとおり、今日本にいる私たちも含め、英語を話す人口は非英語圏において増え続けているということです。

世界の公用語としての英語をどのように教える(学ぶ)のか、というのは、もはやある国に特化した文化的背景だけで考えるのは難しくなり、また、ひと昔前よりも実用性重視になってきているようにも思います。なので、どこに楽しさやモチベーションを置くか?という点で他の言語よりも難しい部分はあるのかもしれません。

イタリア滞在中も、イタリア語がまだ拙いうちはあちらで出会った人たちと英語で会話していましたが、ヨーロッパや南米の人たちは下手でも訛りがあっても当然のように英語を話してくる人が多いです。やはり英語においては「とりあえず」話せるところまでは全員が可能にしなくてはいけない時代になりつつあるのでしょう。どのレベルを目指すかは人それぞれ、であるにせよ、「とりあえず」理解できて話せるようになるにはどうしたらいいか?というある一定レベル習得までのスピードを重視する視点が今後の英語学習には必要となってくるように思います。

写真はまったく関係ないですが、今年の夏イタリアからフランスに旅行した際、夜のパリでお散歩中に見つけた楽譜屋さん(たしか・・・)のショーウィンドウです。私の好きなZAZのCDジャケット写真があって、またパリっぽくて、フランスっぽくて気に入って撮影しました❤ そして不思議なのですが、フランスにいるときは最初の数日はイタリア語からの切り替えがしんどかったのが、最後の3週間目にはイタリア語はまったく出てこないくらいフランス語の思考回路になっていました。その後イタリアに帰国し、また同じ過程を再度体験したのですが・・・。イタリアとフランスのように似ているようで似ていない文化をもつ国の間では、同じラテン語圏であっても言語の上達にはやはり、その国の文化にいかに寄り添えるか?がキーになります。

でも、英語についてはそれもやりすぎると世界公用語である実情に合わなくなってしまう、というのはあるのかも知れないので、難しいところではないでしょうか。

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