こんにちわ、メイクアップアーティストのTAKEです。
今回は、私の海外生活で苦労したことについてお話しします。ただ、25年前で記憶もうる覚えなので、予めご了承下さい^_^;
プロフィールにも書いた通り、私は高校卒業後メイクを習いにアメリカ、ハリウッドに渡米しました。そこで苦労した事というと、真っ先に思い出すのは"コミュニケーション"です。
正確には、メイク学校に行く前に入学した語学学校へ遡ります。
語学が堪能ではなかった私は、周囲からシャイと思われ(私も自分はシャイと言ってごまかしてました^ ^;)、また私自身も積極的な方ではなかったので、中々コミュニケーションを取るのが簡単ではありませんでした。当時、円高の影響もありアメリカへ留学する日本人が多く、私もついコミュニケーションが容易な日本人と接する方が多くなってしまいました(ただ、当時出会った日本人の友人の多くは、各分野の第一線で活躍している人達ばかりで、それはそれで大きな財産になっています)。そうすると、尚更英語でのコミュニケーションが中々向上しませんでした。
転機は、 半年間の語学学校からメイク学校への進学でした。私の行ったメイク学校は、色々な国からメイクを勉強しに来ていたグローバルな学校でした。勿論、日本語サポートなどありませんでした。受講していた生徒も、日本人は私を含め2人だけ。ただ、もう一人の唯一の日本人も自分の事で精一杯のため私にかまっている暇なんてありません。なので、私がそこにいるの存在価値を作るには必然的に自分自身でコミュニケーションを改善していくしかありませんでした。まず改善を求められたのは、語学力。特にリスニングです。相手の言っている事がまず理解できなければ、何も始まりません。そこは、ほぼ日本語を話す環境ではなかったので、ある意味勝手に向上出来た点は後から思い出すと良かったと思いますが、当時は苦労しかありませんでした。リスニングができるようになってくると、自然にコミュニケーションが出来るようになってきました。そこで、大きく変わったのは、間違っても良いのでしゃべる事です。それまでは、日本人特有の癖で、丁寧に間違いなく喋ろうと心がけてしまう為、ワンテンポ遅れながら喋ることが当たり前でした。他言語を取得されている方は分かってくれると思いますが、私の中でまず語学はテンポが大事だと思っています。それには、間違ってもよいのでテンポよく喋ることがポイントだと今でも思っています。実際、当時もテンポよく喋るようになってから、少しずつコミュニケーションも向上させることができました。
今では、その経験が大きな財産になっています。当時は、ものすごく孤独も感じ、ものすごく苦労をしたので、そんな経験が財産になるなんで思う余裕なんてありませんでしたが^ ^;
海外での生活をしたことで、ものすごく感じたのは、日本はなんて住みやすい国ということ。ただ、自分という商品の付加価値を上げるためには、少しの苦難も必要だったなと、留学当時を懐かしながらこの文章を書いている、今日この頃です^_^