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大好きな小説:1 スリーピー・ホロウ 

2015-03-05 | 2 Comments

英語の原書を読むのって、楽しいといつも思います。何がどう、といわれてもまあ、色々あって一口では言えないわけですが。いやこれは決して私の文章力がないわけではなく。母語ではない言葉というのは、私にとってはいつでも発見の連続で、内容に加えてそこも面白いのかもしれません。

というわけで、私が読んだ原書を少しずつ紹介して、「ほんとだ!面白い!!」と言ってくださる方が誰か現れないかな~などと野望を抱いているわけなのです。

さてさて、ワシントン・アーヴィング(Washington Irving, 1783-1859)が書いた『スケッチブック』の中の一編「スリーピー・ホロウの伝説」("The Legend of Sleepy Hollow")を今回ご紹介!いたします。というより私が勝手に紹介したいんです。ええ。

これ、ティム・バートン監督がジョニー・デップ主演で映画化したこともあるし、アメリカの人たちにとっては常識?的なお話(日本にだってドラ○もんがいるように)。ニューヨークの近くにこの名前が付けられた場所もけっこうあります。主役が現代にタイムスリップしてきたというドラマまで、ついこの間放送されてましたね。

どてカボチャが出てくる秋の話なため、ハロウィーンの定番怪談?ということなのですが、(なぜこんな季節外れなのかといえば)つい最近読み終わったというただそれだけの理由で私はこのコラムを書いております。

で、このお話はスリーピー・ホロウという所にいる、首なし騎士の幽霊伝説を取り上げたもの……というと怪談っぽいのですが、実はコメディーです。結末をここで書いてしまうわけにはいかないのですが、途中まであらすじを書いてみます。このスリーピー・ホロウの近くの学校にイカボッド・クレーンというオカシイ名前の先生がやってきて、地元のガキ大将がそのまま成長したような男と村一番の金持ち農家の跡取り娘を取り合って……という感じ。この恋のさや当ての真っ向勝負に“首なし騎士”の幽霊がからんでくるわけなのですが、いやはやこの最後の緊迫感あふれる描写がすばらしい!というかイカボッド先生の間抜けさが際立って面白い。

そもそもこの先生、「トウモロコシ畑から脱走してきたカカシ」と見まがう"つまよーじ”体型のくせして良く食う人です。薄給の中、生徒の親の農作業を手伝うやら何やら涙ぐましい晩ご飯ゲットの努力。讃美歌を近所の女性たちに教えて糊口をしのぎ、美声でみなさんの好感を得ている優男??と思いきや、「金持ちだからあの娘の魅力は百倍増すねぇ」的なしたたかさがたまりません。要するに小物。恋敵の嫌がらせも柳のごとく受け流し、しなやかに娘に言い寄ります。

一方では怪談を気にしたり、コットン・マザー(セイラムの魔女狩りというマサチューセッツ開拓時代の大きな事件で思想的に影響を及ぼした牧師。とはいえ最近はその立場も見直されてきていますが)の著作を読みふけり、超自然への想像を川辺でふくらます乙女な一面も。都市伝説と呪怨にハマりつつ恋話に花を咲かせ、それでいてカフェで友達と「収入高い男じゃないと結婚はムーリー」とかしゃべっている今時のどっかの若い女性のようです。

さて、このイカボッド先生の食欲が私は大好きなんです。昔の人にとって、「豊かさ」って「食べたいものを食べたいだけ食べられる」ってことだったんだな、と実感します。今の私も、これを書きながら「うーん、なんかお腹すいた。夜中だけどポテチ…はないからチョコアイスでも食べたいな」とか思っているわけですが、そんなのとは桁が違います。彼が恋する女性の家へ、パーティーにお呼ばれしたときの一節をご紹介しましょう。

……the ample charms of a genuine Dutch country tea-table in the sumptuous time of autumn. Such heaped-up platters of cakes of various and almost indescribable kinds, known only to experienced Dutch housewives! There was the doughty doughnut, the tenderer oily koek, and the crisp and crumbling cruller; sweet cakes and short cakes, ginger cakes and honey cakes, and the whole family of cakes. And then there were apple pies and peach pies and pumpkin pies; besides slices of ham and smoked beef; and moreover delectable dishes of preserved plums and peaches and pears and quinces; not to mention broiled shad and roasted chickens; together with bowls of milk and cream,—all mingled higgledy-piggledy, pretty much as I have enumerated them, with the motherly teapot sending up its clouds of vapor from the midst. Heaven bless the mark!


ケーキの名前が延々続き、パイが3種類きっちり「アップルパイにピーチパイにパンプキンパイ…」と説明が入り、ハムにスモークビーフ、プラムに桃に洋ナシにマルメロのプリザーヴ、お魚にローストチキン……細かく細かくお料理を並べることで、1818年当時の読者もきっとうっとりしたはず。『ロビンソン・クルーソー』が消費社会の先駆けの作品として、中にうっとりと物を列挙し続ける一節があるのと共通している心理かもしれません。

現代の日本では、食べ物は簡単に手に入ります。コンビニは夜中も開いているし、パソコンで画像検索でもしようものなら、食べ物の列挙なんて当たり前。こないだ友人のホームパーティーに行き、友人が作った実においしそうなケーキにフォークを突っ込もうとしたら、別な友人に全力で止められました。「ちょっと待って!!!写真撮ってフェイスブックに上げるから!!!」 私は今すぐ食べたいのよおおおおおおおおおおおおおと心中わめきつつ、友人たちが納得の写真を撮り終えるまで、フォーク片手に「待て」状態でございました。もしかしたら私たち、食べることをうっとり楽しむより、列挙の方にうっかり発達しちゃった人種なのかも?と考えさせられます……。

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