「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。」
(花は盛りに咲いているのだけを、月は一点の曇りもないものだけを見るものであろうか。)
徒然草第百三十七段は、このように書き起こし、雨に向かって月を恋い慕い、すだれを垂れた部屋に引きこもって春がどこまでくれていったのか知らないでいるのも趣が深いと続く。
このような美のとらえ方は、西欧の完全を目指す美とは対照的である。
西欧の美の一例として、フランスの太陽王、ルイ14世の住居であるベルサイユ宮殿があげられる。その壮大でシンメトリー(左右対称)な構造は完全な美を希求している。
一方、兼好は満開の桜より、今にも咲きそうな花の梢、もう花が散ってしまった庭こそ見所が多いという。
その理由の一つとしては、完全なものには想像の入り込む余地がないからであろう。
この満開の花よりつぼみ、満月よりもかけた月に美を見いだす日本人独特な感性は、ネガティブな美ともいえる「わび・さび」の源流になっていると思われる。