平安時代の女流歌人、和泉式部は恋の歌で知られる。
奔放な歌風もあって、恋多き女のイメージが定着した。
実像を追ってみるのも面白いかもしれないが、その情熱的な歌をいくつかあげる。
黒髪の乱れも知らずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき
(黒髪のみだれも気にとめず臥していると、髪をかきやってくれた人がまっさきに心に浮かび恋しい。)
君恋ふる心は千々に砕くれど一つも失せぬものにぞありける
(あなたを恋しく思う心は、千々に砕けるけれど、一つたりとも消えはしない。)
あらざらんこの世のほかの思ひ出にいま一たびの逢ふこともがな
(あの世に行ってしまった後の思い出としてもう一度だけあなたに会いたい。)
紫式部は、和泉式部を評して、こう言った。
「和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ。」
(和泉式部という人は、贈答歌を趣深く詠んだが、けしからんところのある人です。)
紫式部は、心のままに歌を詠む和泉式部の才能を認めつつも欠点をあげつらう。
学問にも通じ、博識の紫式部にしてみれば、「小娘がちょっと気の利いた歌が詠めるからって、いい気になるんじゃないよ。もっと勉強して出直しておいで。」といったところであろうか。
だが、「恋もしないで、恋の歌が詠めますか。」という和泉式部の高笑いが、私には聞こえてくるようである。