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Cafetalk Tutor's Column

Keisuke.H 讲师的专栏

I was a bocchi.53 馬車馬のごとく

2024年11月12日

サッカー部にいた僕は、当初から部のやり方には疑問を感じていた。
練習試合も地区大会も、いつも結果は惨敗で、
それを改善しようとする雰囲気もない。
ただひたすら、同じメニューを毎日繰り返すだけ。
部員は20人ほどいたけれど、真剣に取り組んでいたのはほんの数人。
顧問のオイクボは部活をほとんど見に来ず、先輩も上達が感じられない。
僕は「このままじゃ強くなるはずがないな」と思いながら、
毎日同じ練習に向かっていた。
 
そんなある冬、グラウンドが雪で覆われてしまい、
普段の練習ができなくなった。
オイクボからの指示は、グラウンドの代わりに校外を走ること。
1周1キロほどの道を、1日4周、計4キロ。
運動音痴の僕には苦しい日課だったが、
それがオイクボの指示なら従うしかない。
監視の目もなく、部員の多くが途中で手を抜いている中、
気づけば僕は真面目にそのノルマをこなしていた。
走る理由がただ「練習だから」だけになっていたけれど、
途中で止めることができなかった。
 
そうやって毎日同じ距離を積み重ねていくうちに、自然と走力がついていたらしい。
中学3年のある日、体育の授業でシャトルランが実施された。
サッカー部での体力が思いがけず役立ち、
3年男子の中で3位という記録を出すことができた。
あの地道な練習がこんなところで報われるとは思ってもいなかった。
 
そして、その成果がさらに輝いたのが学校のマラソン大会だった。
4キロという距離は、僕にとってすでに慣れ親しんだ距離だ。
意識するまでもなく、僕はスタートから自然に3位をキープしたままゴールした。
大会では初めてのメダルが僕の手に渡るはずだった。
ところが、ゴールの混雑で係のナクイが僕を見落とし、
3位のメダルは部長のヤワチャンに渡されてしまったのだ。
がっかりしていた僕に、ヤワチャンは静かにそのメダルを差し出してきた。
「3位はケイスケだろ?」と。
僕はそのメダルを手に、人生で初めての表彰台に立った。
あの日、サッカー部での練習が報われたことがただただ誇らしかった。

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