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Cafetalk Tutor's Column

Keisuke.H 讲师的专栏

I was a bocchi.48 横浜モーニングリバー

2024年11月7日

中学生になって一番の驚きは、科目ごとに先生が違うことだった。
職員室に行けば、理科専門、音楽専門、保健体育専門と、各担当が並んでいる。
教科に応じて理科室に移動するのも日常の一環になった。
 
その中で、特に波紋を呼んだのが横浜出身の英語教師、アサカワ。
彼女は自己紹介の時点で、横浜出身であることをなぜか自慢げに語り、
僕たち田舎者を見下しているような印象を与えてしまった。
それが反感の始まりだったのかもしれない。
 
中学生で初めて英語を学ぶ僕たちに、彼女は容赦ない宿題を課してきた。
ノート1ページにびっしりと英単語を写し、日本語訳まで書かせる。
しかし、英語の知識ゼロの僕には、この予習は何の意味もなさなかった。
解答のために教科書ガイドに頼る日々が始まったのは言うまでもない。
 
アサカワは、その情緒の不安定さでも有名だった。
予習しなかったムライのバッグを窓から投げ、
ノートを丸写ししていたアンチャンを毎回当てる。
僕は注意深く授業を聞き、運よく被害を免れていた。
 
しかし、とうとう僕にもその「余波」が訪れる。
ある日、5時間目の授業で教壇に牛乳パックが残されていた。
給食後の片付けの残骸だろうが、
アサカワはそれを見て機嫌を損ね、何も言わず職員室に戻ってしまった。
 
一同ポカンとするクラスメート。
担任のいない教室に自習のムードが漂い始めたそのとき、
鬼の形相の数学教師、オイクボが教室に現れた。
「誰だ!教壇に牛乳置いたやつは!」
静まり返る教室。
僕は学級委員長として名指しされ、職員室へ向かうはめになった。
 
職員室でアサカワに頭を下げると、
「明日までに原稿用紙5枚の反省文書いてきてね」
とだけ冷たく告げられた。
その瞬間、僕は自分の人生で初めて、
反省文に意味を見出せないという経験をした。
内容は覚えていないが、
クラスメートが僕を同情の眼差しで見てくれたことだけは、しっかりと覚えている。

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