こんにちは、氣功師の有岐です。
いかがお過ごしですか?
これからの人間関係、「さて、どうやって生きていくのか?」
今日はその後編です。
この社会は、しばしば「正しさの価値観」を押し付けてきがちです。
周囲の人々や環境の影響で、自分が本当に何を求めているのかが見えにくくなってしまうこともあります。
でも心に留めておきたいのは、「自分自身が一番自分のことをよく知っている」ということです。
自分が何を感じ、何を考えているのか、どれが正しいのか、どれが自分に合っているのか、他の誰よりも本当は自分自身が理解しています。
他人の意見や期待に振り回されて、自分を見失うことがないように。
あなた自身の真摯な「心の声」を大切にしてください。
どんな選択をするかは、最終的にはあなた自身が一番よくわかっているはず。
嘘やまやかしは、自分の心の中では通用しません。
外の社会の期待やプレッシャーに流されず、反応しないこと。
他人の目や評価を気にしすぎるあまり、心配や不安に振り回されてしまうこともありますが、それもまた自分のことを本気で考えている証拠なんです。
自分自身を理解し、自分の価値を信じること。
だからこそ、これからの生き方を考える際には、自己理解を深め、真の自分の心を感じ切る事を怖れずに受け入れていく事で沢山の気づきを得る事ができるのです。
心の中で感じること、思うことを大切にしながら、人との関係を築いていく方法を話していきますね。
「因果の法則」と自分を見つめることの大切さ
前回解説しました「因果の法則」覚えていますか?
私たちが日常で感じることや、経験する出来事には必ず「原因」と「条件」つまり、因縁があります。この2つが組み合わさって初めて「結果」が生まれるんです。
因縁とはどういう事だと思いますか?
たとえば、木はそれだけでは燃えません。
「火(原因)」があったとしても、そしてその火が燃えるための「薪(条件)」がないと、そもそも薪が燃える事はできないんですね。
今起こっている「結果」は過去の因縁であるなら、その結果は実は過去にその方向性がすでに決まっていた物だと考えられます。
実は、そこがポイントなんです。
◆今を見ないで未来ばかり追いかける苦しみ
例えば、私達は今、家に帰る途中だとします。
頭の中は家に帰る事で一杯になっていて、その途中で葉の紅葉や秋の新鮮な空気感に全く気が付かずにいます。
そして、家に帰宅したら、今度はあれもこれもと、これからする事ばかりで頭は占領されています。
そんなことはないですか?
現代の私たちは日常こなすことに忙殺されがちです。
いつも頭の中は、「この時間までにこれとこれを仕上げて」・・・と。
そうすると・・・
紅葉にも空気にも、自分の気持ちさえ、
「今」自分が何を見て、何を感じて思い、そして
自分の意識が何を選択するのかをスルーして生きている事になるのです。
全ての因縁の条件は、環境などの外的な物以上に、「今」自分が本当はどうしたいのかという「意識の選択」によって、岐路が変わり、その後の結果が変わるのです。
先案じばかりして、今を見ていない、そんなことはないですか?
先回りをして、それをうまくこなす事に注力して疲れていませんか?
失敗をする事を極端に怖れていませんか?
「今を楽しむこと」
ありのままの感情を抑制する事を長年強いられてきた環境下でいた私達は、無意識に今を犠牲にするようになってしまっています。
帰宅途中にそっと自分が何を感じているのか観察してみて下さい。
早く家に帰らないと・・ではなく、自分は今を心地よい状態にしようとしているだろうか?
今日あった事、誰かのあれやこれやを何度も反芻し、今現在は起こってもいない事で自分をしんどくしていないだろうか?
楽しむ気持ちになんてなれない、じゃあそれはどうしてだろうか?
ゆっくりゆっくり、吐く息、吸う息、胸に空気が入る感覚、お腹や肩、背中に力が入っていた事に気づきながら、体を緩めて、呼吸に意識を集中しながら、
自分の体の様子、心の様子を観察してみて下さい。
焦り、悲しみや不安が心の奥底にある事に「ふっと」気が付いたりします。
それを無意識に感じる事から避けている自分に気が付いたりするのです。
それを日々繰り返していくと、周りの言葉や状況に過敏に反応していた選択とは違う、自分が意識した選択の道を選ぶ余裕をつくれるようになってきます。
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何者かになろうとする必要なんてないのです。
どんな人も、もれなく生まれ持ったそれぞれの欠損があります。
そして、それをなんとかして補おう補おうとしているのです。
欠けている自分で当たり前、必死につかみ取ろうとすればするほど遠ざかり、逆に不足感を感じるものです。
◆心の苦しみが生じるのは、【自己の欠損部分】
私たちはそれぞれ、その欠損の「種」となる燃料が、私たちが認識できていない意識の中にあるのです。
意識には自分で分かっている部分「顕在意識」という所と、
自分では認識できない部分「潜在意識」と言われる2つの意識があります。
そして、その認識できない所(意識全体の95%以上を占める)にその「種」はあります。だからこそ、普段は自覚できずにわからないものなのです。
その種は先天的、または後天的に作られた「自己の欠損部分」とも言えます。
だからこそ常に自分に足りていないからこそ、それが気になって仕方がないのです。
物事に対してイライラしたり、ストレスを感じるのは、実は「自分自身」がそこにこだわっているから。それは「自分=自我」私という存在がその原因のひとつなんですね。
どうして苦しいのか?
私たちが感じる「苦しみ」には、いろいろな原因があります。
たとえば、嫌な人と一緒にいる時の苦しみや、好きな人と別れる苦しみ、欲しいものが手に入らない時の苦しみなど。
これらはすべて「渇愛(かつあい)」、つまり「もっとこうなってほしい」
「これが欲しい」といった強い願望から来ているのです。
でも、この渇愛に振り回されることで、
心がどんどん疲れていってしまいます。
この執着が、私たちの心を不安定にし、満たされない感覚を引き起こします。
気づかない日常で、私たちは「こうなって欲しい」という期待を持っています。
人間関係や、自分の進む道いついて、ままならないのです。
これらの感情の苦しみは、すべて「渇愛」に起因します。渇愛とは、満たされていないという気持ちであり、対象に対する執着から生まれるものです。
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空しさ:私たちが求めるものが手に入ったとしても、すぐにその満足感が薄れてしまうことがあります。たとえば、新しいスマートフォンを手に入れた時、一瞬の喜びは感じるものの、すぐに「もっと良いものが欲しい」と思ってしまうことです。このように、常に何かを求め続けることは、心を空虚にしてしまいます。砂漠の砂の上に水を一滴垂らすようなもの。
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不満:日常生活において、思い通りにいかないことが多いと、誰しもが不満を感じるものです。たとえば、仕事や人間関係が思うようにいかないと、いつも心の中に不満がたまってしまいます。この不満が常に心を不快なままの状態にします。
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不完全:私たちは、常に「何かが足りない」と感じています。ああ、満足したとか自信がついたと思えるのはその一瞬だけですね。たとえば、自分に自信が持てず、他人と比べてしまうことで、自己評価が低くなることがあります。このような「不完全感」は、私たちの心を苦しめます。
自分を知ることの大切さ
私たちが歩いている道は常に未知なので、うまくいく方法を誰かから教えてもらえないだろうかとか、誰かから人生を打開する「力」をもらいたいと思ってしまうのも当然です。
実は、その答えは「自分を知ること」にあります。
私たちはよく、外の世界や他人に助けを求めがちですが、本当に大切なのは自分自身を見つめること。
西洋も東洋でも同じことを言っているのをご存じでしょうか?。
古代ギリシャの神殿にも「汝自身を知れ(なんじじしんをしれ)」と刻まれているように、まずは自分の内面に目を向け、自分がどんな思考や感情に反応しているのかを知ることが大事です。
そして仏教でも、釈迦が入滅前の最後に、弟子が「これからどうしたらよいのか?」と教えを乞うた時に言った言葉が、
「自分を灯(ともしび)とし、自分を拠(よ)り所にせよ」
これは「自灯明」といい、人生の道を照らす光は自分の中にあるという事です。
他の誰かに頼るのではなく、自分の心を頼りに進んでいくことが大切なんです。
私は月に1度、そんな心を内観する場所を作っています。
参加は無料。ただ自分の心を観察する場所です。
ゆっくり呼吸をしながら、自分の心を静かな水面にイメージしてみると
だれでも波紋が波打っています
誰かがとか、環境が・・・ではなく、この心の不安や怖れなどを感じて「モヤモヤする」波紋が心の深くにある、それをただ冷静にじっと見つめてみる、そんな瞑想です
心の観察瞑想
~自分をメタ化するマインドフルネス~
毎月第一土曜日
20:00~(2時間)
*zoomでのみんなで瞑想です
参加費:無料??
苦しみの原因は、私たちが何かに執着することから生まれます。
けれど、その解決方法は外ではなく、自分の内面にあります。
まずは自分を知り、自分のエネルギーを信じることから始めましょう。
そして、自分自身を頼りに進んでいくことで、
苦しみを手放すことができるのです。
今回もまあ長くなってしまいました??
コメントや質問、感想等、頂ければ、うれしいです??
氣功師の有岐でした