男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり。
― 『土佐日記』より
授業などでよく取り上げられるところなので詳しいことは省くが、前の「なり」は伝聞・推定の助動詞「なり」で、「とかいう」と訳せる。一方、後の「なり」は、断定の助動詞で、「のである」と訳せる。
そこで、現代語訳は次のようになる。
男の書くとかいう日記というものを、女である私も書いてみようと試みたのである。
ここで文学史的に重要なのは、当時、日記というものは男性が漢文で書く記録であったということである。
貫之は、それを女性に成り代わって、女性の文字である仮名で書いたのである。
『土佐日記』は、後の日記文学に多大な影響を与えた。
このように、今でこそ古典などと呼ばれている『土佐日記』は、当時、画期的な意欲作だったのである。