これは通りすがりのような方がぽろっと言った言葉です。
私は初め、本当の自分の姿を求めてそこに行ったのではないので、この感覚はよくわかりません。
しかし当時は、自分を偽っているとも思っていませんでしたし、むしろ、自分には常に正直であると思っていました。
ですので“自分のことは自分が一番よく知っている”と疑いもしなかったです。
しかし向き合ってみると、なんと自分を押しやっていたか、違う感覚で生きていたか、感情と意識が全く反していることを自分によって見せつけられました。
生徒さんと向き合うと、ほとんど全員が全く違うその方で生きているのを見ます。
ご本人は皆偽りはないと思っているのですが、心は全く別のことを言っています。
苦しいのに苦しくないとか、大丈夫ではないのに大丈夫だとか、蓋をするというよりは体の良い大人な対応を自分にもしているのです。
大人だから我慢できるとか、そんな事は簡単に乗り越えられるとか、いい訳をたくさんつけています。
体の調子が悪いと病院に行くのに、心の不調はどんなことをしてでも自分で、または簡単な方法で、そして気を逸らしたり紛らわす為に自分にご褒美を与えたりして対処する。
時が経てばなんとなく薄れるのを「時薬だ」と言って信じる。
パワーストンを握り締め、パワースポットに出向きいい気をもらったといってその気にさせることもあるでしょう。
それもこれも全部わかります。
でも果たしてそれで根本は解決したでしょうか。
自分にいつまでも負担を強いていくのでしょうか。
かつて私の持っていたパワーストーンと呼ばれる石は尽く変色しました。
当時の師に「いつまでも頼っているのは嫌でしょ?」と言われましたが頼れるものならいつまでも頼っていたいと当時は思っていました。
それが今や頼るものなしです。
自分でいられるという事は嘘も偽りもなく日々安堵だからです。
この感覚はやらないと得られないので想像で理解するのは難しいです。
けれど落ちこぼれの私でも獲得できた。辿り着けた平和な自分。
誰でもその気があれば辿り着けると知っています。
格好つけて「ほんとの自分を知るのはこわい」というより、素直になってしまった方がとても楽です。