※「京都徒然(つれづれ)」は、わたしが京都にいるときに見たこと、感じたことをお伝えするコラムです。
( 徒然(つれづれ)…何もすることがなくぼんやりしていること)
京都の街の東北(とうほく)、
修学院離宮(しゅうがくいんりきゅう)のすぐ南に
曼殊院(まんしゅいん)というお寺があります。
古くから皇族(こうぞく)が住職(じゅうしょく)を務めた
格式(かくしき)の高いお寺です。
そのお寺の庭は、
静かに座(すわ)って見ても、
回廊(かいろう)を歩きながら見ても、
いくら見ても見飽(みあき)るということがありません。
苔(こけ)むした石橋(いしばし)、
植え込みの陰(かげ)の小さな灯籠(とうろう)、
丸く刈(か)られた植え込みに咲くさつきの花、
空に伸びるる
空に伸びる松の木、
白い砂の流れ、、
杉の林の向こうに見える青い空…。
これまでご紹介した京都のお庭は、
遠くに心を運んでくれる借景(しゃっけい)のお庭
〜円通寺(えんつうじ)や正伝寺(しょうでんじ)のお庭、
自分の心を見つめさせてくれるお庭
~圓光寺(えんこうじ)十牛(じゅうぎゅう)の庭、
心彷徨(さまよ)うお庭
~平安神宮(へいあんじんぐう)神苑(しんえん)などですが、
曼殊院(まんしゅいん)のお庭は、「心遊ぶ庭」です。
しばらく、ぼんやりしていて、
ふと目をお庭に戻すと、
必ず、それまで見ていなかった新しい発見があります。
「心遊ぶ庭」は「心浮き立つ庭」でもあります。
しばらく眺めているだけで
明るく、やさしい気持ちになります。
京都のお庭は、
それぞれのお庭の個性(こせい)、
見ている人の心に与えるものが違(ちが)います、
その時の気分に合わせて
気分に合ったお庭を訪(たず)ねる、
それも京都の楽しみ方のひとつです。
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KOBA
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