現代はスマホやパソコンから様々な情報に簡単にアクセスできるようになった。
でも、その情報は真実とは限らない。
その中でも特に私が胡散臭いと思うのは、体験談と適当な証拠だ。
まずは体験談。
「この方法で私は合格しました!」
その人はその方法で上手く行ったが、
違う人がその方法で合格するとは限らない。
◯◯大学、△△会社の試験に合格したいとき、
合格した先輩の言う通りの勉強方法を実践する?
その通りできる?
合格した先輩の体験談の一部は参考になるかもしれない。
出題傾向がわかるかもしれない。
でも、あなたの学力は先輩の学力と違う。人格も違う。
学力という点で言うと、
あなたと先輩の自頭の良さと今までの努力量は一致しない。
藁にもすがる思いで先輩の真似をしたところで何の意味もない。
そんなことをする暇があったら勉強しろ。
次に適当な証拠。
私は『数字は嘘をつかないが嘘つきは数字を使う』という言葉が好きだ。
「✕✕大学教授が実証!」
「愛用者の◇◇%が満足!」
テレビCMでよく聞く言葉だ。
だけど私はそれだけでは信じない。
日本には800近い大学がある。
約7万人も教授の人口がある。
少し言い方が悪いけど、
世の中の役に立たない研究をしている教授もいる。
その中の1人が論文を出したとして十分な根拠と言えるだろうか?
愛用者の◇◇%が満足。
それは当然のことだ。
愛用しているなら殆どの人が満足しているんだ。
そんな数字は全く参考にならない。
『薬と毒は紙一重』
情報過多も毒になる可能性があると私は思う。