※「レッスンの余白」は、わたしが日本語教師をする中で感じたこと、
思ったことをお伝えするコラムです。
日本には、「人の噂(うわさ)も七十五日(しちじゅうごにち)」
という諺(ことわざ)があります。
(もう30年くらい前の話ですが)
かつて、会社にいた時、
人は、社会的(しゃかいてき)な事件(じけん)をどのくらいの時間で忘(わす)れるか、
という研究をしたことがあります。
取り上げたのは、企業の不祥事(ふしょうじ)※、
(当時、金融機関(きんゆうきかん)の不祥事(ふしょうじ)が連続して起こりました。)
2週間ごとに、
一般の人がどれだけ、その事件(じけん)を覚えているか調査しました。
※不祥事(ふしょうじ)…好ましくない事件(じけん)
結果は、確かに、
2ヶ月半で
街の人は、企業が起こした不祥事(ふしょうじ)を忘(わす)れていました。
まさに七十五日(しちじゅうごにち)ですね。
特に、お正月を過ぎると、人が忘(わす)れる速度が早くなることもわかりました。
(「年があらたまる」という表現に見られるように、
忘年会でその年の悪いことを忘(わす)れ、
年を越すことで気持ちをあらたにする、
という日本人の特性(とくせい)なのかもしれません。)
確かに、
何もかも覚(おぼ)えていると、生きることが辛くなります。
忘(わす)れる力は、
人間が生きていくために与えられた力だそうです。
肉体的な苦痛(くつう)も、精神的な痛みも忘れられるから、
人は生きていける、っていうことですね。
次から次へと、痛ましい災難や事故、ひどい犯罪が起こります。
(今年も、お正月から能登半島地震(のとはんとうじしん)、
羽田空港の飛行機衝突事故(ひこうきしょうとつじこ)と
悲しいニュースが続(つづ)いてます。)
忘(わす)れてはいけない、と思いながら、
新しい出来事が起こると、忘(わす)れてしまうのも人間です。
地震から1ヶ月、
毎日の雑事(ざつじ)に追われて
ふと地震(じしん)のことを忘(わす)れている自分に気が付きます。
ウクライナのことも、ガザのことも、
いつも間にか、
頭の片隅(かたすみ)に追いやられている自分に気が付きます。
でも、忘(わす)れてはいけないことってありますよね。
忘(わす)れていいこと、忘(わす)れてはいけないこと、を
考えながら生きていくことも大切。
二月に入って、ふと思いました。
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KOBA
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