▶海外に移住する、ということ~カナダへの道① を読む
今日も、おもいきりパクってみたTORIA (o ̄∇ ̄)/です。
こうなったら、このシリーズコラム。
パクりタイトルだけで書けるか
挑戦してみたくなってきました→おふざけが過ぎますね( ̄▽ ̄;)
先日、講師コラムでピカっ!と光るタイトルに出会った♡
これまた(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪と共感して拝読したのは
家庭教師部門の人気講師・Yumiyumi先生の
「何のため?」
「何のため?」
これってば、とても深いテーマ
深い言葉です。
そして、これこそ! 私の「カナダへの道」に付きまとうキーワード。
みなさん、覚えているかしら?
Toriaが、社会人3年目で大学に行こうと思ったワケを…
だいぶ前の連載コラム「学びの復讐」で書き綴っておりますが
当時、交際していた男性との恋が終わり
1年泣き暮らした後、思い立った。思いついたのが大学に行く事。
今思うと、大きな志があったわけでもなく、本当に何となく。
何かしないと、涙がとまらないから。
「学ぶ事で、わたしは復讐するんだ」と、格好よく自分で自分に言ってみたんですね。
ま、でも・・・そんなですから、最初の2年間は単位もあまり取れず
本当に卒業出来るのか? まったく自信がなかった。
ところが、経理部から貿易部に異動し
すこしずつ北米からの買い付けや日本国内の営業補助に携わるなかで
出てきたハードルはズバリ!「学歴」。
一般事務員ながら、当時の役員や直属上司に恵まれて
ヒラの女子社員ながら、それなりに仕事を任され
海外出張まで行った。しかし!
そこから先、継続して海外出張に行く事が出来るパスは持っていなかった。
「学歴問題」が立ちはだかったのだ。
これは日本の慣習!?
常套句… !?
「前例」
という言葉がやたらに飛び交った。
当時、わたしの働いていた会社では
専門や短大卒で総合職昇格は過去に前例がない。
とにかく、会社の人事規定の4大卒が必須であった。
それまで、ちんたら大学に通い
大学が遠いだの、勉強が面倒だの…母に文句を言っていた“わたし”。
ある日、鬼の母から一喝食らった!
「誰も頼んで、大学に行ってもらってるわけじゃない。
そんな愚痴言ってんだったら辞めたらいい。
だいたい、その歳で大学に行ってどうする気だ!!!」
鬼の母の一喝は、この世の何よりも恐ろしく
わたしはそれ以後、母だけじゃなく、誰にも大学の事を愚痴る事はなかった。
だって、動機は相当に不純であったが、自分で決めた大学進学。
しかも、学費も自分で払っている。
「自分のため」に決めた学びの道を、生かすも殺すも自分次第と気付いた。
わたしは決めた。
総合職を目指すため、とにかく大学に行こう。勉強しよう。
ところが・・・
まず決意する、という事が大事だ!というのを、実感する出来事が起こってしまった。
なんと、会社から“卒業出来るという期待のもと”
総合職に昇格しましょう~との前例にない、奮発人事が決定。
こうなると、本当に卒業出来なきゃ大変だ!
そして、わたしの中ではそれ以上に
この大学で勉強をする事が
実は「何のため」なのか、悩み考え続ける日々が始まった。
大学卒業という学歴が出来るという事は大きいかもしれない。
でも、この学びがどこに通じているのかわからずに
20代後半に入っての仕事と勉強の日々は辛かった。
大学に泊まり込んで勉強する事もあり、そんな時は
夜、布団をかぶって泣く事も多かった。
「何のため」にわたしは勉強しているのか・・・
これが何になるんだ…
そんな苦悩と葛藤のなかで
わたしは恐ろしいスピードで単位を修得していった。
何のためかはわからないけれど、やってみた先にしか
もしや見えないものがある事を
何となく感じていた。
家族や友人、会社の同僚や先輩からも
「何で、あの人大学なんて行ってるんだろうか」と言われ
ほぼ・・・いやいや
完全、変人として“わたし”は見られていた。
でも、もうそんな事は気にならなくなっていた。
「何のため」の答えを知りたくて
わたしは大学で勉強をし続けた…
Amanda Marshall - Believe in You(1998)
自分の人生の中で
一番勉強したであろう時期が、この20代半ば~29歳まで。
バブルの好景気が弾け始め、金融機関が潰れる時代に入っていき
それと共に、バタバタと周りの娘たちは結婚していった時期。
流行についていくワケでもなく
好きな人がいるワケでもなく
だからと言って、本気で仕事に生きていこう!なんていうモードでは
実はなかった((´∀`))ケラケラ
そんな中で、私は何をやっているのやら・・・
グルグルと悩み、もがき苦しんでいた”この頃”。
でも、このがむしゃらの頑張りが道を拓いていきました~ 続きを読む
TORIA (o ̄∇ ̄)/