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Cafetalk Tutor's Column

ARI T. 講師のコラム

猿がくる山小屋とイタリア語

今週のテーマ: 海辺に行くか、山に登るか、どちらを選びますか?

2022年8月23日

どうも! イタリア語ペラペラ応援団団長Ari T.です!
今週のコラムのお題は「この夏どこに行った?」です。

「なぜイタリア語を?」と、イタリア語学習を始めてから34年間聞かれまくりまして、「これです」という答えは未だ見つかっていないのですが、それに関連する話を「この夏どこ行った?」と絡めて少し書いてみようかな?と思っています。

誰が興味あんねん!(知ってる?ヤナギブソンのきめの一言)
というコラムは書きたくないので、
あまり読まれなかったら早々に切り上げるのでご安心をw

夏は山小屋で過ごします。
母のお腹にいる時からの生活スタイル。
学校が終わると「拉致られ」てここに連れてこられ、
9月の学校が始まる数日前まで山小屋生活をしていました。
いまでも、梅雨明けごろからこちらに移動し、9月に東京に戻る生活を毎年送っています。

ですから、あまり国内旅行をする習慣がありませんでした。

さて、昔はこの辺りは熊と狐と雉くらいしか出没しなかったのですが、(あと時々猪とカモシカ)
長野新幹線(現在の北陸新幹線)が開通してから、
山を追われたお猿たちが移り住み、時々出没します。
我が家の横を通る電線を、朝は降る方向へ、夕方は上る方向へと集団で移動します。
どうやら、家のあたりが休憩地になっているらしく、
出没する日は屋根の上やベランダで遊んでいきます、、、可愛いけど怖い。
野生動物ですから絶対に接触しません。
空気中でバンバンやられて森に追い払われるのですが、
わかるんだけど、
もともと小山&森の中に居させてもらっているはこちらだから、
本当に人間というのは身勝手な生物だな〜、と思います。

さてさて、そして今も私がいるここはリアル山小屋ですw
築60年、隙間だらけ、ボロボロ。

私の父は建築家で、当時、よその現場から寄せ集めた廃材を使って、
自分の仲間を集めて建てたそうで、
安上がりこの上なし!

この父というのが、母と結婚する前にイタリアで5年間仕事をしていました。
昭和20年代、日本はまだまだ戦後の苦しい時代(知らんけど)。
お若い方々は想像つかないかもしれませんが、当時日本はアメリカによる統治下にあり、沖縄はアメリカ領土で、車は右側通行、通貨はドルでした。
1ドル=360円固定レートの時代(いや、私もオンタイムじゃないですけどね)。
大学、大学院の建築学科を卒業して、
憧れのイタリア人建築家の事務所で働くために船に乗ってイタリアに渡った変人です。
飛行機で海外に行くなんて、普通の人には夢のまた夢だった時代です。
私のイタリアへの運命は、生まれる前から決まっていたのかもしません。

つづく!?

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