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Cafetalk Tutor's Column

Toria 講師のコラム

傾聴への道③ 大きな選択が迫る

2022年4月6日

▶「傾聴への道①絶望の入り口」を読む

▶「傾聴への道②またも絶望、そして宿命を読む

今から7年前、わたしは身体的、精神的な限界を感じ
フルタイムでの会社勤めを辞め、契約ベースで知人の会社の仕事をするようになった。

口腔内と目の不調に加え、今考えると年齢的に更年期の入り口だったと思う。
かつてのように、バリバリと出張して業務をこなすだけのパワーが無くなっていた。
そして、セカンドキャリアというのを、漠然と考え始めていた。 

その翌年の初夏
日本に居る母が突然、脳疾患で倒れた。
何とか、一命は取りとめたものの
半身不随と高次脳機能障害、要介護5という診断が、母には下された。

親元を離れ18年の時が過ぎていた。
”親に何かがあった時“
すぐに何かが出来ない、傍に居る事ができないかもしれない。
そう、日本を出てからずっと思っていたし、覚悟はあったつもりだった。
だが実際は、母の身の上に起きた事
わたしたち家族に起こった事は想定外としか言いようがなかった。
 

わたしは、すぐには日本へ帰国が出来ずにいた。
帰ろうと思えば、帰る事は出来た。
しかし、海外に出て、そこである程度の生活基盤が出来てしまっている方なら
もしや、わかっていただけるだろうか・・・。 

この先、わたしはどうすべきなのか!?
カナダに居続けるのか、それとも親の事を考えて日本に永住帰国をするのか。
真剣に悩んでいた。 

3人姉妹の末娘であるわたしは、比較的それまで自由気ままに過ごしてきた。
いろいろと苦労はあったとはいえ
“自分が選んできた道での、自分の苦労” 

だが、今は自分の事だけを考えてばかりいられなかった。 

わたしの勝手で海外に飛び出し
長年、親と離れて暮らしてきた日々。 

母が居てくれる、生きていてくれる時間は限られている。 

わたしは何が出来るのか?

何をすべきなのか? 

大きな選択をする時が、迫っていた。

日本に帰国したら少しでも長く母の傍に居たい。
私は帰国までの時間
請け負えるだけの仕事を請け負い、がむしゃらに働いた。

とにかく、お金の余裕を作っておかないと…
それだけを考えた。

仕事をしている間も、母の事が心配で、いつも胸の内がザワザワと音がしていた。
自分の身体や心のしんどさなど
もう、その時はどうでも良くなっていた。

とにかく、母のために
すこしでも
いろいろな意味での余裕を作って、日本に帰国しよう。
それだけが、私の目の前の目標になった。

Aika Sekiyama「Aesthetic」(2006)


小さい頃…社会人になってからも
わたしにとっての母は、とても厳しく怖い人だった。
毒親までとは行かないまでも、とにかく怖い存在だった。
甘えられず、母の言葉に傷つく事もあった。
しかし、わたしが大きな決意をし、カナダに渡ると決めた頃は
その母も、やさしくなっていた。

カナダに渡って来てからは、折々に思ったものだ。
「母は、今の私の年齢の時に 何を思っていただろうか」と。

親が決めた男との結婚や、その後の経済苦
子育て、父の独立の中での再びの経済苦
そして失明や身体の不調。

わたしは年齢を重ねるごとに、母のそれまでの我慢、葛藤、苦労を想うようになった。
「母の人生は幸せなのか、幸せだったのだろうか?」と思うのだった。
▶傾聴への道④母の約束を読む

TORIA (o ̄∇ ̄)/

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