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Cafetalk Tutor's Column

GUCCI 讲师的专栏

子どもの頃の記憶が意外なことを引き寄せている事実(連載シリーズその2)

2022年3月15日

ある日我が家に迷い込んできたかわいい文鳥は、近くの家から逃げ出したらしく

返さないといけないね~と話していたのですが、

よく慣れた手乗り文鳥で、私たち姉妹は夢中になってしまって

よく遊んでいました。

 

でも、子どもって残酷だなぁと思うのですが、ある時文鳥を

三人姉妹で追っかけまわしているうちに、踏んづけてしまったのです。

それも間違って、というよりは、半分故意に。

 

自分の方が圧倒的に大きく、力のある存在だということを

確かめたかったのでしょうか……、好奇心なのでしょうか……。

その時の狂気じみた自分を思い出したくなくて、

感情は凍り付かせてしまい、とっさにこう思いました。

「元の飼い主さんにどう言えばいいんだろう~?!」

 

その時の、感情をすり替えたような…、変な感じは、よく覚えていました。

可愛い文鳥が死んでしまって悲しいとか、ショックだとか

そういった感情は一切通り抜けて、世間体の方を気にしていた子どもの私。

 

「これって、おかしいよな…?」

そう思いながら当時見えてなかった周りの状況の中に

真実が隠されていないかと、丁寧に見ていったとき、

やたら腎臓が反応しておりまして…。汗

 

その腎臓にブロックされている感情を感じようと、呼吸を送っていると

罰される恐れがあるんじゃないかと、うっすら感じ、

殺してしまったからには、それ相応の罰が来るだろうと信じていたことを

重痛い腎臓をさすりながら、必死で感じ続けていたら、ふと

「そういえば、母からは何のお咎めもなかったんだよね…。」と思い出したのです。

 

そう…、さぞかし恐ろしい処罰があるだろうと思っていたら

母には何にも言われなかったので、肩透かしだったのです。

(私たちが門限破ったらそらおそろしいお仕置きがあったのに!(笑))

 

この時感じ切れてない感情がなにかあるのですが、

それがなかなか私には難しくてですね…

ずっと、セラピストさんにホールドしてもらっていましたが、

なかなか奥の感情には入っていけませんでした。

 ボヘミアンラプソディのサビの歌詞で特に私の心に響いたのは

「ママ、僕は死にたくない。時々僕なんか生まれてこなきゃよかったと思うんだ。」

というところだったのですが、

どうもそれが、この傷とリンクしていたようなのです。

 

「命をうばった私なんか、生きてる価値はない。

 然るべき罰を受け、罪を償うべきだ。」

 

そして不思議なことに、強風の事故の時の感覚も同時に思い起こされて

「あれ…?なんか、この感覚、事故の時と似てる…?

 あの時も、私『罰を受けないと終わらない』とか思ってたから

 次から次へと車をぶつけてたんだわ、事故の後にも……(大汗)!」

と、謎の現象が意外なところで紐解けました。


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